かんろ台倒壊考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「かんろ台倒壊考」をものしておく。 


かんろ台倒壊考
 「天理教社会学研究所のかんろ台倒壊考」。
 天理教信者は、世界中どこからでも、「ぢば」に向かって礼拝を行う。「ぢば」は奈良県天理市の天理教本部の神殿家屋内にあり、「ぢば」の場所には甘露台(かんろだい)という木製のブロックを積み上げた、だるま落としのような塔が立っている。この「ぢば」に置かれた甘露台は四方を畳の参拝場に囲まれている。参拝場の中央は一片20mほどの正方形の窪みがあり、その中央にぢば甘露台が鎮座しており礼拝上から枠越しに見ることができる。中央の窪みは高さ1mほどの木製ポールで結界(枠)が作られ一般参拝者は入ることはできない。また神殿内には警備員が配置され見張っている。明らかな不審人物は警戒され警備員に距離を詰められる。甘露台が置かれた「ぢば」は信仰目標であり、原点であるため、ここに巡礼することを天理教では非常に重視される。「お『ぢば』がえり」という概念化された行為があるのはまさにここが核心的象徴の場所であるためである。

 2017年7月26日18:20頃、甘露台が「侵入者」(精神に異常をきたしたと思われる人(周東系信者らしい)が飛び込んで倒したらしいとの事)によって倒された。若い男性が甘露台めがけて突進していったようだ。天理教公式ホームページの7月26日夕刻のふしについて」。
http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2017/07/27/25057/
 7月26日午後6時20分ごろ、本部神殿結界内への侵入者により、かんろだいの上部が倒されるというふしを見せられました。その後、定時に夕つとめが勤められました。夕つとめ後、急遽、本部員会議が開かれ、その席で、真柱様からお言葉がありました。引き続き本部員会議で、このふしについてねり合われました。

 天理教の教えの象徴である「甘露台がない」というのは非常にマズイ。ちなみに過去に何度も甘露台は「侵入者」によって倒壊されている。その度に、新しいものと据え替える儀式を大々的におこなっている。

 話を戻す。今後の対応で最大の注目点は、この象徴の倒壊に天理教本部はどのような意味を付与するかである。たとえば「今回の事故は天理教全体に神が見せた試練(ふし)である。信者が一つになって、心を一つにして乗り越えよう」などと信者の心の未熟さに責任転嫁するようなことであれば、幹部に対する不信感のエネルギーは一気に本部不要論(大教会長及び本部員はいない方がマシ)に向かうであろう。今回の倒壊に関しても「天理教本部が教義に反する、間違ったことばかりしているから、神が本部に怒ったのではないか」という本部への信者の不信感の声は根強い。信者に責任転嫁するようなことがあれば、もう天理教本部は真の天理教を信仰する上で邪魔でしかないという雰囲気はゆっくり確実に醸成されるであろう。

 天理時報4534号。山澤廣昭/内統領「反省の意を強く持ち7月26日夕刻のふしについて」 
 かんろだいに大ぶしをお見せいただきました。ぢばにお鎮まりくださる親神様、ご存命の教祖に、ただただ申し訳ない思いでいっぱいです。月次祭の当日、こどもおぢばがえりの始まる日であり、帰参者の方に心配や動揺をお掛けしていることについて、ぢば近くに勤める者として深く反省し、お詫び申し上げます。 親神様、教祖、ぢばは、その理一つであります。ぢばに据えられたかんろだいは、私たちの信仰の芯であります。そこにふしを見せていただいたことは、私たちの信仰態度が、親神様の思召に沿いきったものなのかどうかを、強くお知らせくだされたものと思案します。お互い、ぢば一条、神一条の精神を再確認することが必要だと思います。神一条とは、自分の考え方に合わせて、親神様の教えを解釈する姿勢ではなく、教えに自分の考えを合わせていくことです。そのことを、あらためて胸に治めさせていただきましょう。現在、かんろだいは、下の二段のみが真座に坐(おわ)します。明示14年、二段まで造られたかんろだいの石普請が頓挫し、翌年、没収されました。先人たちは、必死にこの道をお通りくださり、今日の姿を残してくださいました。そのこと思うとき、現在当たり前のようにかんろだいを拝し、おつとめをつとめさせていただいている自分に、慣れや惰性があるのではないかと、反省の意を強く持ちました。まずは教会本部内々の者から心を治め直し、真摯に親神様の思召をたずね、御心に沿ってつとめさせていただきます。
  教内のようぼく・信者の皆さま方も、このふしを”我がこと”と捉えていただき、実の親である親神様にご安心いただけるように、それぞれの心を育てる機会とし、今回のことを活きぶしとさせていただけるように、共々おつとめくださるようお願いいたします。















(私論.私見)