かんろだい普請の挫折、仮甘露台、かんろ台倒壊考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年11.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「かんろだい普請の挫折、仮甘露台、かんろ台倒壊考」をものしておく。 


【かんろだい普請の挫折考】
 明治6年、教祖が、飯降伊蔵に命じ、甘露台の雛型をつくらせている。高さ六尺、直径三寸の棒の上下に直径約一尺二寸厚さ三寸の板をつけたものであった。明治8年、ぢば定め後、初めて甘露台が「ぢば」に据えられ、この頃身上になっていたこかんの平癒を祈願して、こかん身上の「お願いつとめ」をしている。明治14年5月、甘露台の石普請が行われる。(二段までで石工がいなくなる) 明治15年5月12日、奈良警察署長、上村行業が警官を率いてきて、二段出来ていた甘露台を没収する。 

【仮甘露台について】
 教祖みきは、「甘露台つとめ」を通して親神の思惑に立ち帰り、改めて悟ることにより自ずと生命の勇みを貰う作用を期待していたと思われる。「甘露台つとめ」こそがみき教義の完結系であり、1875(明治8)年、教祖78歳の時、ぢば定め、続いて甘露台普請に取り掛かっていたところ、1882(明治15)年、教祖85歳の時、当時二段までできていた甘露台の石が奈良警察によって取り払い没収されるという事件が起こり、以降、教祖の存命中には甘露台が据えられることなく終わった。 

 つとめの地歌は、初め「いちれつすますかんろだい」と教えられていたが、甘露台取り払い事情の後に「いちれつすまして……」と変えられている。二段まで出来ていた石を没収された後のぢばには、直径三、四寸の票石が高さ一尺ぐいに積み重ねられていた。この間、道人は、取締りの警官の目を盗んで門から飛び込んで行き、「人々は綺麗に洗い浄めた小石をもってきては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍しい守護を頂いた」(「教祖伝」239頁)。その石を頂いて患部をさすると、どんな病気も鮮やかにご守護頂いたという話が残っている。
 明治21年、板張りの二段甘露台が据えられる。「仮甘露台」について、次のようなお指図がある。
 「さあさあ天理教会やと云うてこちらにも始め出した。応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろ台と云うて口説き口説き詰めたる。さあさあこれよりは速やか(に神一条の)道から、今の間にかんろ台を建てにゃならん、建てんならんという道が今にあると云う」(明治22.4.18日)。

 明治22.4.18日午後10時、お指図
 「今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという」。

 明治24.2.17日、お指図
 (同時、かんろだいの雛形破損に付、木にて新調仕りますや、又は修復致して宜しう御座りますや願)
 「さあさぁつくらいにして置くがよい。つくらいでよいで。さあ/\つくらいにして置くがよい。つくらいでよいで」。

 1997(明治30)年、仮甘露台が設置されることになり今日へと至っている。そういう意味では、教祖みきが思念した「甘露台つとめ」は未完のまま終り、「仮甘露台つとめ」が行われていることになる。但し、教祖みきが今日の「仮甘露台つとめ」を了としたと云うことであれば、仮ではなく本勤めとなるであろう。

 明治30.7.14日、お指図は次の通り。
 「ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛型を拵え。今一時影だけのもの云うて居るだけでならんから、万分の一を以って、世界ほんの一寸細道を付けかけた。(中略)天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみないから、一時道を初め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで」。

 昭和9年10月、現在の木製十三段の雛型かんろだいが据えられる。
 「真座のまなか、ぢばにお鎮り頂きました親神様の御前に眞柱中山正善慎んで申上げます。只今仮の御座所で申上げました通り、立教百年祭を御迎へする仕度として親神様の御守護の下に神殿の改築と礼拝殿の増築をさせて頂きました。とりわけ神殿は親神様の思召しに則り、芯を土台に四方正面に形造り、ひながたではありますが、木製の甘露台をも造らせて頂きました。従って今後は陽気神楽のつとめを始め、一切の神事をお言葉に則り勤行(ごんぎょう)させて頂きたく存じて居りますが、然し成人への道すがら中で御座いますので、御思召にかなはぬ点も沢山ある事と存じます。何とぞ私共子供の心をおくみ下さいまして、今日からはこの甘露台にお鎮りの上、子供等がまごころこめて御願ひ申上げる事柄を御聞き取り下され、ろくぢにふみならす親神様の御心を畏(かしこ)み、尚も世界たすけの為に勇ましく働かせて頂く私共の堅い決心を御受け下さいまして、一列一体の道を早くおつけ下さいますよう一同に代って慎んで申上げます」。
 (田川虎雄『祭文のてびき』30頁参照、「甘露台の歴史」より)
 なお、後に、本来、甘露の食物を「お供え」として信者に払い下げする予定であったと思われるが、甘露台が取り壊されてより不可能となった。そういう事情から仮に洗米を小袋に包んで手渡す儀式が執り行われるようになった。「をびや許し」の場合には「をびや御供え」が別に用意されている。教祖の時代は、お指図の中で、「何もお供え効くのやない。心の理が効くのや」と諭されている。教祖後になると、本部がその一手販売権を握ることになった。
 宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)「民俗宗教における柱の信仰と儀礼」の「7.天理教のかんろだい」は次のように記している。
 「かんろだいは本部神殿中央の一段低い所の「ぢば」に設定された神域の中心に立てられ、その周囲が礼拝所となっている。またこの中央神域の上方の屋根には6尺四方のくりぬきがあって空が見とおされ、雨水が直接入るようになっている。その位置はみきが指示して以来不動である。かんろだいは正六角形の立方体を13 段積み重ねたもので、台座とも思える1段目は径3尺厚さ8寸、2段目は径2尺4寸、厚み8寸、3段目から12 段目までの10 個はいずれも径1尺2寸、厚さ6寸となっている。そして13 段目は2段目と同じく径2尺4寸だが厚さは6寸である。全体の高さは8尺2寸である。なお各段の上中心に深さ5分、直径3寸の丸い穴、下部中央には同じ寸法のほぞがつくられていて、上段の立方体が下段のそれにはめこむようになっている。(図11「天理教本部のかんろだい」参照)なお材質はみきは当初石造りを指示し、その試みもなされたが、現状は檜である。教義のうえでは、この台の上に5升入りの平鉢をのせ、台の下でつとめ衆が「かんろだいのつとめ」を陽気につとめると、天の親神天理王命から115 才までの定命を保つ「かんろ」が授けられるとしている。ちなみに天理教では神殿の四方に配された教団の建造物のすべてをかんろだいの礼拝所とし、全国の各教会の神殿も「ぢば」の方向にむけて建てられている」。
 「かんろだいのつとめ」は真柱(教主)が選んだ真柱夫妻を含む、男・女各五人の教団幹部によって、かんろだいの周囲の神域で行なわれる。なお「かんろだいのつとめ」が実施されるのは、毎年、元旦祭(1月1日)、春の大祭(教祖の命日、1月26 日)、秋の大祭(立教の日、10 月26 日)、教祖誕生祭(4月18 日)、毎月26 日の月次祭である。つとめ衆の10 人は図12「かんろだいのつとめの配置図」に示すように親神(日月親神とも)・天理王命を示す「かんろだい」の八方(男女8人)と東側に男女各1人のように配される。そして、北と南の人は獅子面、西北の男性は天狗面をつけ背に鯱、東南の女性は女面で亀を背におう。他は男性は男面、女性は女面をかぶる。服装は男性は紋付で黒袴、女性は紋付で帯をしめている。そしてこの10 人は、神楽歌の地唄、鳴物にあわせて、それぞれ独自の特徴的な所作を行なう。その基本は天理教の経典「こうき(泥海古記とも)」に記載の、人類誕生と陽気ぐらしの起源を演じることによって、始源の陽気ぐらしの生活に立ちかえって再出発をはかるというものである。(中略)かんろだいのつとめにあたっては、10 人のつとめ衆のうち8人はかんろだいの周囲、2人の男女は東側(本来は中央だが、台があるのでここに位置する)でこの神話を演じている。まず親神が鯱(男)①と亀(女)②に男女の道具を与える。次いでこの二神の尾にむすばれた③・④・⑤・⑥の四人の神が陽気ぐらしに必要な道具をととのえる。そのうえで親神の日の性格が東のいざなぎ、月の性格が西のいざなみの身体に入る。その際いざなぎは種、いざなみは苗代を示し、そのまじわりで数多くの子供が生まれ、その子供は飲み食い、息、引き出し、切るなどの道具衆の神々の助けで陽気ぐらしを行なっていることが演じられている。そしてこの陽気気づとめが楽しくなされると、それを祝がれた親神、天理王命が天から甘露の法雨をそそがれるとしているのである」。

かんろ台倒壊考
 「天理教社会学研究所のかんろ台倒壊考」。
 天理教信者は、世界中どこからでも、「ぢば」に向かって礼拝を行う。「ぢば」は奈良県天理市の天理教本部の神殿家屋内にあり、「ぢば」の場所には甘露台(かんろだい)という木製のブロックを積み上げた、だるま落としのような塔が立っている。この「ぢば」に置かれた甘露台は四方を畳の参拝場に囲まれている。参拝場の中央は一片20mほどの正方形の窪みがあり、その中央にぢば甘露台が鎮座しており礼拝上から枠越しに見ることができる。中央の窪みは高さ1mほどの木製ポールで結界(枠)が作られ一般参拝者は入ることはできない。また神殿内には警備員が配置され見張っている。明らかな不審人物は警戒され警備員に距離を詰められる。甘露台が置かれた「ぢば」は信仰目標であり、原点であるため、ここに巡礼することを天理教では非常に重視される。「お『ぢば』がえり」という概念化された行為があるのはまさにここが核心的象徴の場所であるためである。

 2017年7月26日18:20頃、甘露台が「侵入者」(精神に異常をきたしたと思われる人(周東系信者らしい)が飛び込んで倒したらしいとの事)によって倒された。若い男性が甘露台めがけて突進していったようだ。天理教公式ホームページの7月26日夕刻のふしについて」。
http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2017/07/27/25057/
 7月26日午後6時20分ごろ、本部神殿結界内への侵入者により、かんろだいの上部が倒されるというふしを見せられました。その後、定時に夕つとめが勤められました。夕つとめ後、急遽、本部員会議が開かれ、その席で、真柱様からお言葉がありました。引き続き本部員会議で、このふしについてねり合われました。

 天理教の教えの象徴である「甘露台がない」というのは非常にマズイ。ちなみに過去に何度も甘露台は「侵入者」によって倒壊されている。その度に、新しいものと据え替える儀式を大々的におこなっている。

 話を戻す。今後の対応で最大の注目点は、この象徴の倒壊に天理教本部はどのような意味を付与するかである。たとえば「今回の事故は天理教全体に神が見せた試練(ふし)である。信者が一つになって、心を一つにして乗り越えよう」などと信者の心の未熟さに責任転嫁するようなことであれば、幹部に対する不信感のエネルギーは一気に本部不要論(大教会長及び本部員はいない方がマシ)に向かうであろう。今回の倒壊に関しても「天理教本部が教義に反する、間違ったことばかりしているから、神が本部に怒ったのではないか」という本部への信者の不信感の声は根強い。信者に責任転嫁するようなことがあれば、もう天理教本部は真の天理教を信仰する上で邪魔でしかないという雰囲気はゆっくり確実に醸成されるであろう。

 天理時報4534号。山澤廣昭/内統領「反省の意を強く持ち7月26日夕刻のふしについて」 
 かんろだいに大ぶしをお見せいただきました。ぢばにお鎮まりくださる親神様、ご存命の教祖に、ただただ申し訳ない思いでいっぱいです。月次祭の当日、こどもおぢばがえりの始まる日であり、帰参者の方に心配や動揺をお掛けしていることについて、ぢば近くに勤める者として深く反省し、お詫び申し上げます。 親神様、教祖、ぢばは、その理一つであります。ぢばに据えられたかんろだいは、私たちの信仰の芯であります。そこにふしを見せていただいたことは、私たちの信仰態度が、親神様の思召に沿いきったものなのかどうかを、強くお知らせくだされたものと思案します。お互い、ぢば一条、神一条の精神を再確認することが必要だと思います。神一条とは、自分の考え方に合わせて、親神様の教えを解釈する姿勢ではなく、教えに自分の考えを合わせていくことです。そのことを、あらためて胸に治めさせていただきましょう。現在、かんろだいは、下の二段のみが真座に坐(おわ)します。明示14年、二段まで造られたかんろだいの石普請が頓挫し、翌年、没収されました。先人たちは、必死にこの道をお通りくださり、今日の姿を残してくださいました。そのこと思うとき、現在当たり前のようにかんろだいを拝し、おつとめをつとめさせていただいている自分に、慣れや惰性があるのではないかと、反省の意を強く持ちました。まずは教会本部内々の者から心を治め直し、真摯に親神様の思召をたずね、御心に沿ってつとめさせていただきます。
  教内のようぼく・信者の皆さま方も、このふしを”我がこと”と捉えていただき、実の親である親神様にご安心いただけるように、それぞれの心を育てる機会とし、今回のことを活きぶしとさせていただけるように、共々おつとめくださるようお願いいたします。















(私論.私見)