| 出直し論、生まれ代わり論 |

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.28日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「出直し論、生まれ代わり論」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
| 【出直し論】 | |||||||||||||||||||||
| お道教義では、「借り物の理」は、人はいつかは借りていた身体を創造主へ返さねばならないということへと帰結する。丁度、セミやヘビが殻や皮を脱いでいくようなものと考えられる。これを「出直し」と云う。「出直し」とは、「心得違いは出直しや」というお言葉にあるように「やり直し」という意味での生き方の切り替えをも意味している。そこには、日々の再生という意味での出直しと、死生観における「出直し」の二義がある。 出直しには、心の出直しと身上の出直しがある。
御神楽歌、お筆先に次のように記されている。
教祖のお諭しは次の通り。
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| 「出直しの理」の理解は案外難しい。なぜなら、本部教理では「存命の理」との絡みで云われており、信仰上は一理あるからである。「存命の理」とは、教祖が現身(うつしみ)を隠されて後、本席を次ぐことになる飯降伊蔵の「お指図」で打ち出された神言であり、概要「教祖は、子である人間が可愛いばかりに、その成人促すため、これから先25年もある命を縮めて現身を隠した。これからは、いよいよ世界救済のために駆け巡る」と云う言葉から発生した。つまり、生前同様に働いて、道人の成人を見守るという「存命」の立場に立たれたことになり、そこから教祖殿において毎日お食事とお茶、お召し替え等の儀式が為されることになった経過がある。それはともかく、本席の「お指図」の真意は奈辺にあったのか、興趣の注がれるところである。 |
| 【出直し考】 | |
| 天理教では、死を「出直し」と捉えている。今生は前生の続きであり、今生は来生へと繋がっていると説く。これにより、私たちの一日一日の心遣いや通り方が、今の生涯だけでなく先の来生未来へ繋がっていることを自覚して今の一日を大切にして責任ある生き方をすることが肝心という教理になる。 この教理は仏教の輪廻転生(りんねてんしょう)と少し違う。輪廻とはもともと仏教の思想で、辞書によると「車輪が回転してきわまりないように、衆生(しゅじょう:いのちあるもの)が三界六道(さんかいろくどう)に迷いの生死を重ねてとどまることのないこと。迷いの世界を生きかわり死にかわること」と説明している。「三界」とは、欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)、「六道」とは、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天(てん)の六つの迷界(めいかい)で、人は、生まれ替わりを繰り返しながら、自らの善悪の業(ごう)によってこの各界を行ったり来たり永遠にぐるぐる回っていると説く。 |
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昭和54年10発行、高野友治著作集第六巻「神の出現とその周辺」(道友社)75-77pの「もろもろの質問」より。
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高井高井猶吉家資料33-344頁、当時の附近の有様 神の自由用、「しっかりしいや」より。
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| 【生まれ代わり論】 | |
お指図は次の通り。
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(私論.私見)