| 甘露論その2 | かぐら勤めの理 |

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年10.29日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「かぐら勤めの理」教理を確認する。 2016.02.29日 れんだいこ拝 |
| 【「かんろだいつとめ」とはどのようなものか】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「天理と刻限」の「かぐらづとめの祭儀について」、「教祖絵伝を読み直す」、「劇画/教祖(おやさま)物語考 」その他を参照させていただく。 「甘露台つとめ」について、天理教教典に次のように記されている。
「教祖伝」第五章の中で、四通りの呼称があるわけが次のように説明されている。
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み神楽歌には次のように記されている。
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お筆先には次のように記されている。お筆先10号は全篇が神楽づとめを諭している。これの最肝要部分を抽出しておく。
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| 教祖は次のようにお諭し為されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中山正善『こふきの研究』所収、桝井伊三郎「神の古記」108頁は次のように記している。
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| 【かぐら勤めのお指図】 |
| お指図は次の通り。 |
| 【「かんろだいつとめ」とはどのようなものか】 | ||
れんだいこが説明すれば次のように云える。
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| 【甘露台つとめ」の実際の様子について】 |
| 甘露台つとめの実際の様子は次のようなものである。 10人のつとめ人衆(道具衆)が、元初まりの神の働きを今に再現する役割を持ってぢば、甘露台を中心に囲むように八方に配置される。月日を表す北と南は別として、それぞれが「元始まりの一日」に命の道具衆として引き寄せられた方角から中心に向かって立つ。夫婦の雛型であるいざなぎ・いざなみの二柱の神は、甘露台の中心に立つことはできないので、外側の東西に向き合って立つ。 10人のつとめ人衆(道具衆)は、その方角からしても2つづつの対をなして配置されている。日と月が南北に、温みと潤いという対極をなす役割を担っている。うなぎとくろぐつなが東西、飲み食い出入りと引き出し。いざなみといざなぎは、甘露台の東側でつとめるが本来の場所は甘露台の上と下から向き合ってつとめる形になる。また、シャチとカメが対、カレイとフグが対になって働き、それぞれ役割を担っている。 つとめ人衆10人の手振りが皆な違う。種の働きをするイザナギは、陽を演じ、頭部に甘露台を表す六角の印をつけた男性面を被って西に立つ。苗代の働きをするイザナミは、陰を演じ、頭部に六角の印のある女性面を被って東に立つ。 くにとこたちは、男衆が演じ、獅子面(開口・阿の相、大龍面)をつけ北に位置する。一条の尾は「たいしょく天」の手首に結ぶ。 をもたりは、女衆が演じ、獅子面(閉口・吽の相、大蛇面)をつけ南に位置する。三条の尾はそれぞれ「くもよみ」、「かしこね」、「をふとのべ」の手首に結ぶ。 月よみは、男衆が演じ、天狗面をつけ、「しゃち」の像を背負う。 くにさづちは、女衆が演じ、女面をつけ、「かめ」の像を背負う。 くもよみは、女衆が演じ、女面をつける。 かしこねは、男衆が演じ、男面をつける。 をふとのべは、男衆が演じ、男面をつける。 たいしょく天は、女衆が演じ、女面をつける。 甘露台は、上の柱が男根的象徴、下の台が女陰的象徴をしており、その周りでそれぞれの道具衆がそれぞれの働きを異なった手振りで踊る。 |
| [図版]つとめ人衆の配置図 、天理教本部かぐらづとめの図(明治21年10月26日) |
| 【「つとめ人衆」の役割分担について 】 |
| 「つとめ人衆」の配置と、その呼び名を確認する。甘露台の上の部分が「男」で土台の部分が「女」であることを立体的に示している。「男五分、女五分の男女対等の理」が諭されている。この「つとめ人衆」の役割に対し、それぞれ、すいき(水気)/くにとこたちのみこと、ぬくみ/をもたりのみこと、皮つなぎ/くにさづちのみこと、骨つっぱり/月よみのみこと、飲み食い出入り/くもよみのみこと、息吹き分け/かしこねのみこと、切る/たいしょく天のみこと、引き出し/をふとのべのみこと、男種/いざなぎのみこと、女苗代/いざなみのみことという神名がつけられている。 お筆先の中にみき自身が「たいしょく天」や「をもたり」といった名前に言及している。神名であることを示す「みこと」という言葉。 みかぐらうたや「つとめの手」のひとつひとつは「みきが自分で考えて作ったもの」だと保存会の方々は強調していた。中山みきの思想を最もよく理解し、よき相談者としての役割をつとめたとされる五女のこかんさんをはじめ、辻忠作や飯降伊蔵夫婦といった最も初期の信者の人たちと、「こうすればどうか」「ああすればどうか」と話し合い相談する中から生まれ形成されていったのが「つとめの手」のひとつひとつだったのではないかということが想像される。 |
| 【「つとめ人衆」の身振り手振りについて 】 | |
| 眼うるおい、水のはたらきは、水が天の上り雨となって降り注ぐ手振り。身の内の温みは火が燃え上がる手振り。息吹き分けは風が吹く様子を現した手振り、といった10種類の手振りを合わせて、甘露台いつとめが完成する。それが人間創造の様子であり、人間の本質を意味している。それを7回、7回、7回と3度つとめる。最初の7回が『人類創造の様子』つまり『元の理』。次の7回がそうして創られた人間が親から子、子から孫へと伝わって『今こうして生きている様子』つまり『天然自然の理』。そして最後の7回で、これから先に未来へと繋いで行く、『世の中や社会に広げていく様子』つまり『ようきづくめの理』を現している。 | |
| 6つの道具が肉体を形成する各器官(『五臓六腑』)の働きに該当する。・消化器系・循環系・呼吸器系・神経系(免疫系)・骨格・皮膚と筋肉。遺伝子とも言える男種・女種を足して、温みと水気が肉体を保ち、人間として生きている。 | |
| 甘露台つとめのすごいところは、人間の各器官がそれぞれの機能、役割を果たしながら『生きる』という目的に向かって一致協力している状態を表現していることにある。その状態が『一手一つ』、『互い立て合い助け合い』になっている。月日親神がそのように人間を創った、その状態こそが人間として喜び勇み充実した状態・性質を持っている。『体の各器官が互いに助け合いながら生きている』ことを実得する。そして、その人間が子から孫へと繋がっている。今こうして生きている私達も同じ状態や性質を持っている。 | |
次のように諭されている。
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| 天理教本部の神楽づとめは公開されていない。インターネット上に唯一「具体的な資料」として公開されているのは、2011年に正体不明の人がYouTubeにアップロードした「謎の動画」だけである。動画の紹介コメントにも「世界を助ける、お勤めと言われているものです」と客観的な言葉が書かれているだけで、どういう人がどういう意図をもってこの動画を公開したのかは全くわからない。 神楽づとめの手は、坐りづとめで振る手とは違っている。櫟本分署跡保存会の方々にこの動画を見せたところ、ここで振られているのは確かに歴史に忠実に再現された「つとめの手」になっているが、どういう人たちが公開した動画なのかを特定することは難しいとのことだった。この人たちは自分たちが何者であるかを特定されるのを避けるために、自分たちが歌っているはずの地歌の音声を消して、市販されている三代目真柱歌唱の音源にすり替えている。しかしながらそうするとお手振りが歌に合わなくなるものだから、映像そのものにレコードの音飛びみたいな「無理な編集」が加えられている。出すなら堂々と出せばいいのであって、こんな形で出すべきではない。というのが保存会の方々の意見だった。 保存会の方で「堂々とちゃんとした動画」を公開する予定はないのかと聞いたところ、「そうしたいのは山々だが、しっかりしたものを公開するにはそれなりの準備が必要なので、今すぐというわけには行かない」という返事だった。「ちゃんとした動画」はいずれ公開されるものとして、不充分で分かりにくい形になるとは思うが、私が教わった「かぐらづとめ」の手の振り方を「文字にして」書き留めておくことで、「目で見て確かめることのできる資料」が公開されるまでの、「つなぎ」にしておきたいと思う。検索しても上の動画しか見つからなかった今までの現状よりは、マシだろう。 |
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| 「ちよとはなし」の手について 基本的に坐りづとめと同じなのだが、「これはこのよのはじめだし」の「はじめだし」の部分では、「子どもが出てくる姿をあらわす手」として、下腹部の前で両手を下向きにパッパッと二回開く。正直な感想として、ちょっと恥ずかしい感じのする手振りだった。 |
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| 「甘露台」の手について 「あしきをはろうて 助けせきこむ」までは、坐りづとめと同じ。 |
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| 「一列すまして」では、甘露台の下から五段目の石の線の高さに合わせて「すまして」の手を開く。そうすると甘露台を囲んできれいな輪ができる。 | |
| 「かん、ろお、だい」のところで、左足から二歩下がりつつ、十人がそれぞれの担当している「理」に合わせて一斉に違った手を振る。細かく表現すると「かん」のところでは全員が「オサエの手」を振り、「ろお、だい」が各自の独自な手となる。以下、「ろお、だい」部分の手の振り方を、それぞれ①②と番号を振って、記述する。 | |
| すいき 両手の平を上に向け、頭の上まで持ち上げる。 持ち上げた両手を返し、頭の上でバスケットのシュートをするように、両の手首を前に振る。…「雲を湧きあがらせ、雨を降らせる手」である。 |
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| ぬくみ 押さえた手を内向きに返して「平らに揃える手」。上に向けた両手の平を、「Come on」という感じで手前に振って、10本の指を立てる。 …「大地から炎が燃えあがる手」である。 |
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| つっぱり 右手で左肩の後ろに背負った「しゃち」に触れる動き。(実際には届かないので、左肩に触れるだけでいい) 「しゃち」に触れた右手を返し、対面にいる「つなぎ」の人に向けて何かを送り出すように、少し前に出す。 |
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| つなぎ 右手で左肩の後ろに背負った「亀」に触れる動き。(実際には届かないので、左肩に触れるだけでいい) 「亀」に触れた右手を返し、対面にいる「つっぱり」の人から何かを受け取るように、少し上にあげる。…「つなぎ」と「つっぱり」は似た手になるが、「送り出す動き」と「受け取る動き」になるので、右手の上げ方が若干変わる。 |
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| 飲み食い出入り 押さえた手を返して、指先を下に向け手のひらを前に向ける。指先を下に向けたまま、手のひらを前に向けて押し出す。…これも対面にいる「引き伸ばし」の人に向けて「受け取れ」という感じで押し出す。 |
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| 引き伸ばし 両手を前に出して、ものを抱えるようにする。 抱えた両手を腹の方へ引き寄せる。…十二下りの中に出てくる「よく」の手。これも気持ちとしては対面の人から「受け取る」感じ。 |
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| 息吹き分け 両手の平を右に向け、左に向かって動かす。左に振った手を右上に向かって回転させながら、対面の人に「風を送り出す」イメージで両手を少し前に出す。…風の動きを表現しているため、ダイナミックな動きである。「息吹き分け」には「言葉や知恵の発達」の「理」も含まれる。 |
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| 切る 両手を腹の前に出して、物をつまむ動き。 つまんだ両手を左右に引いて「切る」動き。…十二下りの中に出てくる「切る」そのままの動き。「切る理」には人間の「分離独立」も表現されている。 |
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| 男五分 手は「すいき」と同じだが、手が意味するところが違ってくる。すなわち対面の「女五分」の人に「子種を注ぐ」動きになる。 |
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| 女五分 手は「ぬくみ」と同じだが、手が意味するところが違ってくる。すなわち対面の「男五分」の人から「子種を受け取る」動きになる。 |
| 「中山みきが教えた「かぐらづとめ」について」参照。 |
| 天理教本部では一般の信者が教えられているのとは違う神楽づとめと呼ばれる「おつとめ」が「秘密の儀式」として継承されている。櫟本分署跡保存会が、それを「秘密」にしておくのは教祖の教えに反しているとして、中山みきが教えたとおりの神楽づとめを復元し、誰でも参加できるものとして公開している。その神楽づとめが、普通の「おつとめ」とどう違っているのか、これを確認する。宗教的な専門用語にいちいち「注釈」つけるのは煩雑なので、この記事は実質的には、天理教のことをある程度「知って」いる人、現役の信者の方々を対象としたものとならざるを得ない。 |
| 【「つとめ人衆」の装束について】 |
| (目下、推敲中) |
| 中山みきの在世時、「つとめ人衆」の人々は背中に教祖から頂いた「十二弁の菊の紋」を着けて「つとめ」にのぞみ、また教祖から頂いた赤衣を重ねて着ることもあった。(辻忠作氏は、教祖から頂いた赤衣を羽織っておさづけをとりついだということが伝えられている)。保存会でもそれが再現されている。 このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや (6-63) と「おふでさき」にはある。「月日」とは中山みきが「神」と呼んできた「助けたいという心だけで何も望まずに人間に恵みを与えてくれる存在」のことを象徴する言葉である。 天皇制明治政府が「神」という言葉を独占するようになって以降、教祖みきが代わりに使うようになったのが「をや」、「月日」という言葉だった。その「赤衣」を「つとめ人衆」の一人一人が身につけるということには、そのことを通して「つとめ人衆」の一人一人が 「神の社」、「月日の社」としての役割をつとめてゆくという「決意」が示されている。現在、天理教本部に「帰参」した人々に希望に応じて渡される「証拠守り」も、元々はそうした意味を持ったものだったという。 「十二弁の菊の紋」は「天皇家の紋」であるとして、明治になってから庶民による使用が禁止された。教祖みきはあえてその紋章を使った。「菊紋の使用禁止」措置に対して、教祖みきが堂々とそれを使うことには、何らかの矜持があったと思われる。実は歴史的に深い意味があった。教祖みきからすれば、「十二弁の菊の紋」は、大和朝廷前の出雲王朝からニギハヤヒの命時代の歴史的引継ぎのものであった。教祖は、そういう歴史を踏まえた上での正当なる抵抗をみせた。 ところで、「おつとめ」の「三下り目」と「四下り目」においては「日の丸の扇」を二本手に持って踊ることが現在の天理教では行なわれているのだが、その扇も本来使われていたのは「月日の扇」であり、さらに当初は太陽の部分は金、月の部分は銀と色使いも異なっていた。この扇を両手に持って「よるひるどんちやんつとめする」の手を振ると、「よる」の部分では月のマークが前に出て、「ひる」の部分で太陽のマークが前に来るという形になる。そういう意味を持った振り付けだった。こういうことは、現在行なわれている「つとめ」の形態からは、わからない。(なお、扇を持つ際には、左手に日の紋、右手に月の紋がこちらを向いているような形で持つのだとのこと。これを左右に並べると「明」という字になる)。 |
| 【「おつとめ」の順序について】 |
| 現在天理教本部で行なわれている月次祭においては、一般信者の家や教会で「すわりづとめ」として行なわれている。・「あしきをはろうてたすけたまえ」のつとめ、・「ちよとはなし」のつとめ、・「かんろだい」のつとめ が「かぐらづとめ」としてまず行なわれ、その後、「つとめ人衆」は神楽面を外し、・よろづよ八首、・十二下り が「立ちづとめ」として行なわれる。 これに対して櫟本分署跡保存会で再現されている「教祖在世時のつとめ」においては、「よろづよ」と「十二下り」が甘露台を囲んでまず行なわれ、最後に「つとめ人衆」が神楽面をつけて神楽づとめが行なわれる。この際、「あしきをはろうてたすけたまえ」の「つとめ」は、教祖の教えに反して後から付け加えられた「拝み祈祷の文句」だからということで、保存会ではつとめられていない。 また、「よろづよ」と「十二下り」の最後で唱えられる「なむてんりおうのみこと」という神名も、教祖が教えた神名ではなかったからということで歌われていない。「なむてんりんおう」になるのは、「おつとめ」というものはそもそも「天理王命という神様」に「お願いする」ためのものではなく、「つとめ」に参加した一人一人が転輪王というインドの説話に登場する神の心を身につけて、人助けに生きるという「心定め」をするために行なわれるものであり、そのように作られたものだったからである。 明治以前の時代において天皇家や将軍家の代替わりの際に行なわれてきた輪王灌頂と呼ばれる儀式は、新しく支配者となる人間が転輪王の故事にならい、「立派で公平な支配者になる」ということを世に示すために行なわれるものであったのだという。その輪王灌頂の儀式を、支配者たちの手から庶民のもとへと「奪還」し、誰もが「神」となって互いを尊敬しあえるような世の中を築き上げてゆく土台にしよう、といった発想が、「つとめ」を作りあげた時の中山みきの中には、あったのではないかと想像される。 |
| 【「たすけ合いの理」とはどのようなものか】 |
| 道具衆は、それぞれが違う働きを受け持ちつつ一手一つに調和して助け合う。それぞれが相手を勇まして、自分が勇む。その調和の喜びを味わう。働く喜びも然りで、はたはたを楽にさせ且つ自身もそれを喜びとする。つまり、利他と自己の利益が背反しない。犠牲的精神で相手を喜ばすのではなく、自分の喜びでもある相手の喜びを味わう。これらが教祖が教えた「かんろだいつとめのつとめの理合い」である。 |
| 【「神楽面の由来」】 |
| 教祖は、早くより里方の兄・前川杏助にかぐら面の制作を依頼しており、それが明治7年に完成した。月日親神を表す獅子面は、見事な漆塗りの一閑張りであったと伝えられているが実物は現存していない。その後、何遍も作り替えられ、明治二十年以後、大阪の人形師に頼んで制作されたものが保存されている。昔は一閑張りでしたが、現在のかぐら面は木製になっている。 最初のお面が完成したあと、おやしきでお面をつけて熱心につとめの稽古をしたと伝えられている。ぢば定めを経て、明治十年の年初から、女鳴物(三曲)を教えられ、明治十三年旧八月二十六日には鳴物全部を揃えてつとめられたという記録が残っている。 つとめ人衆の数は『おふでさき』に、かぐら十人、鳴物九人、手をどり三十六人、がくにん(学人・楽人)二十人、計七十五人としるされている。その他に六人の附人(つけびと)が、お面のつけ外しや尾を結ぶ役目をもち、周囲に正座してつとめを拝する。尾というのは木綿の布で、「くにとこたち」の尾は「たいしょく天」に、「をもたり」の三条の尾は「くもよみ」「かしこね」「をふとのべ」に結ぶ。残りの四柱の神を布で結び合わさない理由は、元初まりの最初に月日親神が既に「いざなぎ」「いざなみ」)に「月よみ」「くにさづち」を、それぞれ「一の道具」として仕込み、その雛型に入り込んで種を宿し込まれているからである。こうして元初まりの道具・雛型はすべて月日親神と一心同体になって働いていることを示されている。 手ぶりについては、最後の「……みこと」と唱えるときの手がつとめの役割によって異なる。さらには、「ふうふをこしらえ」のお歌を唱えながら、男の理を表すくにとこたち・いざなぎは、上から下へ与える手ぶりをするのに対して、女の理を表すをもたり・いざなみは逆に下から上へ持ち上げて受ける手ぶりをする。その時、夫婦の理を表すいざなぎ・いざなみは、互いに手を触れ合う。足の動きはどうかというと、中心のかんろだいに向かって左右の足を一歩ずつ踏み出したり踏み下がる動作を繰り返しながらつとめる。鳴物の調べに合わせて、十人のつとめ人衆が心を一つに、中心に向かって八方から調和と躍動に満ちた神の働きを表す。その秩序ある全体の動きは、まさに創造発展するいのちへの賛歌といえる。 教祖は、御身をお隠しになる明治二十年一月二十六日の直前まで、人衆揃ってつとめをするように急き込まれた。当時、つとめをすることは警察に拘留されることを意味していました。ご高齢の教祖を心配する初代真柱との間で切迫した問答が続けられた結果、神一条の決意を固めた人々が、教祖のお言葉に添うてつとめに取り掛かった。 次章「◎かぐらづとめと元の理」に続く 目次に戻る |
| 神楽面について みきの在世時においては、「おつとめ」といえば神楽面をつけて「かんろだい」を囲んで行なうものだった。山名大教会を作った人たちは、中山みきの公認のもとで地元静岡の地に「かんろだい」を立て、自前で神楽面を作って「おつとめ」を行なっていた。その当時に使われていたという「山名面」の写真がある。郡山大教会でも兵神大教会でも、教会が建設された際には「お披露目」で自前の神楽面を使おうと準備までしていたのだが、中山みきの死後、「本席」としてその位置を継いだ飯降伊蔵の「おさしづ」により「ぢば」以外での面の使用は禁止され、既に神楽面を作っていた各教会はそれを返納したという経緯があったのだという。 飯降伊蔵が「ぢば」以外での面の使用を禁じたことには、当時東京に教団の本部を作って国家から活動の公認を得ようとしていた人々が、彼の目の届かないところで教祖の教えをゆがめて伝えようとしていたことを懸念したという、当時なりの理由があった。なお櫟本分署跡保存会の方々は、中山みきの教えと同様、飯降伊蔵の「おさしづ」についても「神が乗り移って言わせた言葉」ではなく、彼が教祖の教えに照らして「自分の頭で考えて」語った言葉であるという立場をとっておられる。だが、伊蔵のとったその措置は、教団内で国策迎合路線を進めていた部分によって彼の死後、「本部の権威づけ」のために利用され、結果、「かぐらづとめ」は現在そうなっているごとく、「一般信者が窺い知ることのできない秘儀」に変えられてしまったのだという。 |
| 天理から自動車で一時間ほどのところにある明日香村の飛鳥坐神社では、私は見たことがないのだけれど、「夫婦和合の情景」が極めてリアルに再現されて観客が異様に盛りあがることで有名な「おんだ祭り」と呼ばれるお祭りが、古代から伝えられている。その際に使われる「天狗」と「おかめ」のお面は、写真で見る限り上掲の「つきよみ」「くにさづち」と全く同じものである。お面だけではまだ足りないとばかりに男性が背中に背負う「しゃち」には「屹立する気概」が、女性が背負う「亀」には「踏ん張りぬく気概」が、それぞれ表現されているのであろう。そうした表像が使われていることから考えても、教祖在世時の「つとめ」というものは決して神妙な顔をして行なわれていたものではなく、むしろ時には笑いがあふれるぐらい、文字通り「陽気」なものとして行なわれていたのではないかということが想像される。 ところでこれらの神楽面が「くにとこたち」「をもたり」といった「神名」で呼ばれるようになった経緯(と思われるもの)については上述した通りである。 みきとこかんの二人三脚の活動で「お道の教え」は西へ東へと伸びてゆき、やがて集まってきた信者の人々が力を合わせることによって、「お屋敷」には立派な「つとめ場所」が建設された。今の本部の北側に、「記念建物」として残されているものである。そしてこの「つとめ場所」の当初の名義人は、こかんになっていた。ところが「明治」になって法律が変わり、「戸長」としての地位を手にした秀司は、それをタテにとってみきとこかんを綿倉に押し込めて、広い「つとめ場所」を「自分のもの」として乗っ取ってしまった。乗っ取った「つとめ場所」に、秀司は近在の竹之内村にある「十二神社」の祭神をそのまま祀りこみ、それを「天輪王明神」と名づけて、売り出した。現在の教典に伝えられている「十柱の神名」が天皇家の祖先神の名前になっているのは、その事実に由来している。 そうした秀司の「悪事」をもはや許しておけないという決意を込めて、みきが1873年に書いたのが「おふでさき」の第一号だったのだという。十七号まで書かれている「おふでさき」は、どれもみなそのように「そばなもの」の「心得違い」をただす目的をもって書かれたもので、「人を叱るような言葉」が並んでいるのはそのためである。従ってそこに書かれているのは「教理」ではない。天理教のそもそもの「教理」の全ては、「みかぐらうた」の中に表現されているというのが保存会の方々の説明だった。 一時とび出たところ、善悪わけに、世界の人百人、たとえば九十九人まで悪、一人だけ善、一人の善が強いか悪が強いか、世界少し見えかけてある。 という言葉には、重い決意と信念が込められていたのだということが改めて伝わってくるように感じられる。 |
| 【かんろだいつとめ考】 |
| 自分の身の内の使い方、続いて自分の身の外である周囲の人間関係、その一として夫婦関係や家族関係、その二として仕事などの人間関係、その三として地域社会との人間関係、その四として世の中全体との人間関係。『この世は神の身体』、『かんろだいつとめの理』の元の理の御教えが、人間の体全体の各器官の調和と働き、それが身の外である諸事象と通じており、これを弁えることにより、その理を社会に活かすことが重要であると諭す。故に、私どもの行いと心遣いが、親神様の教えられる『かんろだいつとめの理』に適っていたかどうかをじっくり思案することが肝要である。その元一日を訪ねる契機が『かんろだいつとめ』と理解できたら良い。 |
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(私論.私見)