心澄み切りの理

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.6.7日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「心澄み切りの理」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【「心澄み切りの理」教理】
 お道教義では、信仰生活の階梯に心の澄みきりが肝要とする 「心澄み切りの理」を諭している。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 教祖お諭しは次の通り。
 逸話篇「 」。
 
 お指図に次のような御言葉がある。
 人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教えやで。(明治20年3.22日)
 明治三十四年九月二十八日 梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願い。
 たゞ親のねきに居たばかりでは、何も知らず/\、一つの理分からん。世上の理辛い理分かりてこそ、精神結んだる理も分かる。
 明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)飯降政甚大祭に帰りしに付、又々神戸へ出越すの願い。
 修行という、心の身を磨きに出るのや。修行、大切に扱うては修行にならん。そら水汲みや、掃除や、門掃きやと、万事心を磨くのが修行。そこでさしてくれるよう。
 なにも供(そなえ)きくやない、心の理がきくのや (明治35年7.23日)










(私論.私見)