その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ/考

 更新日/2026(平成31.5.1改元/栄和8)年9.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、ネット検索で出会った「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」を論評しておく。この御仁のれんだいこ論評自体は良しとしよう。むしろ圧倒的無評のなかで、批判の側からにせよ、れんだいこに関心を持ったこと自体に意義がある。そういう意味で罵詈雑言で返そうとは思わない。但し、「れんだいこ散華論」を平気で唱えるとなると、当然ながらムッとする。この御仁はこういうところには無痛のようである。

 2012.03.24日 れんだいこ拝


【「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」考】
 原文は、2023.9.4日付けブログ「天皇教を構築した伊藤博文の偽天理教を見破りながら、その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」である。サイトは「天理教 真実の神の力」で、独善性、独断性の強い文書をかなり発信している。れんだいこ教理をどう批判しているのか学ばせて貰うつもりである。留意すべきカ所、特にナンセンスな下りを赤ゴシックにして確認しておく。著者を、当人が「A」と名乗っているので、以下仮にSA氏と命名する。(読みにくくなるので、お筆先の写し箇所は号と番号だけにする)
 ネットにその事実が書かれている。みきを神とせぬ妄説である。
(私論.私見)
 SA氏は、れんだいこ教理に対し、いきなり「みきを神とせぬ妄説である」と述べ、先入観を与えようとしている。「れんだいこ教理」という位置づけ、批判の側からではあるがかく待遇されたことは良しとしよう。

 SA氏の論法に、れんだいこが意見しておけば、「みきを神とする説」にも色々あって一筋縄では行かないことは常識である。突然のことで、この御仁がどういう「みき神説」を述べようとしているのか分からない。この環境で、れんだいこ教理を「みきを神とせぬ妄説である」なる「妄説」謂いは、云い得云い勝ちな論法ではある。
 451   天理教教祖中山みきの研究第77部 (最新見直し2006.8.16日)
 明治体制の根本思想は、欧米文明の精神的基盤であるユダヤ教、キリスト教に対抗せんとして、天皇信仰を国の基盤に据えた。伊藤博文の枢密院での所信表明は次の通り。
 欧州では宗教というものが国家の機軸を為しているが、わが国の場合、どの宗教も力が弱く、国家の機軸足りえるものが無い。従って、わが国においては機軸とすべきものは皇室しかない(中略)。
 明治22.1.15日、次のようにお指図している。
 人間というものはわからん者にわからんものがつく。世界の悪肥えだんだん思案つけ、天理教会やってみよう。一つ道だんだん悪が添い、天理教会。めんめんも天理教会同じ。一つの理を祀る。皆、人間の心を寄せ、だんだん心を寄せて相談する。

 天理教会は、皆の悪が太ってしまった姿だという厳しい指図であった。だが、教会本部は指図通り動くことはなかった。
  明治22.3.22日、平野楢蔵願いが出され、次のようにお指図している。
 さあさあよう聞き分けねばならんで。あちらへも一本、こちらにも一本、根は一本。段々の理を聞き分け。同じ芽、同じ根と指図しておこう。
 明治22.4.18日、次のようにお指図している。石造りのかんろだいは没収されて、その後、教祖ご在世中は小石が積まれていたが、明治21年、飯降伊蔵によって板張り二段のかんろだいが据えられていた。
 よう聞いておけ。何処にどういう道が始まるとも分からん。さあさあ天理教会やと云うてこちらにも始め掛け。応法世界の道、これは一寸(ちょっと)の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと云うて口説き口説き詰めたる。さあさあこれよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあると云う。
 明治22年秋、長女のよしゑが園原の上田嘉助の次男(上田ナライトの弟)の楢次郎の元へ嫁ぐ。この時次のようにお指図している。
 行くのでも無ければやるのでも無いで。一寸理を繋ぎに行くのやで。行きてもじきに帰るのやで。

 事実、嫁入り後二、三ヶ月すると、おじばが忙しくなり御用に帰って来られた。その後、永尾家(教祖の母の実家)を立てられることになった。
 明治24年の教祖5年祭を前に、本席の「三年千日のお指図」が始まった。明治22.11.7日、次のようにお指図している。
 概要/ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながた直せばどうもなろうまい。僅か千日の道を通れと云うのや。三年の間や。ひながた通れば、ひながた同様の理にはこぶ。
 ひながたの道より道ないで。何ほどせいたとて、急いだとていかせんで。ひながたの道わり道ないで。
 (以上、引用終わり) 
(私論.私見)
 これは、れんだいこノ-トからの引用である。ここの件を批判しようとしている訳ではなさそうなので、特段のことはない。ところが、その後に次のような物言いをなさる。
 れんだいこさんは天理教の素人さんである。理がわからないのは無理のないことであるが、これを正しておかないと、大勢を迷わせるので、正しく理を知らせる。
(私論.私見)
 「れんだいこさんは天理教の素人さんである。理がわからないのは無理のないことであるが」とは、これまたいきなり云い得云い勝ちな論法である。「これを正しておかないと、大勢を迷わせるので、正しく理を知らせる」とは、かなり尊大傲慢な謂いである。れんだいこは、こういう云い得云い勝ち論法、尊大傲慢な謂いに耐えねばならないのだろうか。
 「3年千日のひな型」とはイエスキリストのひな型である。中山みきは「50年」である。正善しんばしらは「おやのひながた50年」と、歌詞にて示している。そしてイエスのひな型は、金銭欲、支配欲の、欲にみちた教会の掃除であった。
(私論.私見)
 次に何を言うのかと期待したところ、「『3年千日のひな型』とはイエスキリストのひな型である」だと。何でここにイエスキリストが出てくる必然性があるのだろう。『3年千日のひな型』をイエスキリストと結びつけるのは教理的に如何なものか、という疑問が湧く。なるほど両者が教理的に通じているところはある。が、教祖みきがイエスキリストを意識して『3年千日のひな型』を示していたとは思えぬ。

 次の「イエスのひな型は、金銭欲、支配欲の、欲にみちた教会の掃除であった」も、イエスを随分矮小させた謂いであるように思うが如何であろうか。そもそもこの時点での「教会」を何宗何教の「教会」としているのだろうか。三派にも四派にも分かれている当時のユダヤ教教会を見据えておられるのだろうか。単に「教会」ではイエスの格闘歴が伝わらないのではなかろうか。
 つまり、みきのさしづは、伊藤博文に対して、天皇教に対して、支配のための宗教行為は、それは正しくないと誤りを正せであった。イエスのように真っ向から理を解けであったのだ。説いていたなら、みきは、お働きができた。理を諭さねば、「なににても知らぬ間はそのままや」である。
(私論.私見)
 ここでも、「イエスのように真っ向から理を解けであったのだ」と述べ、イエスキリストを引き合いに出す。みき教理を、逐一イエスキリスト教理と結びつける必要がどこにあるのだろう。

 ところで「理を解け」は「説け」の表記ちがいだろうか。次の「説いていたなら、みきは、お働きができた」の意味も、私には意味が通じない。逆から窺えば、「説いていなかったから、みきのお働きが(十分に)できなかった」と云っていることになるが、説いていようがいまいが、教祖みきはお働きされた、されるのではないのか。「理を諭さねば、『なににても知らぬ間はそのままや』である」も、どういう意味で引用されているのか不明である。
 みきは親神であるとの理を諭さない、残念は、みきへの謀反、切り口上である。これを知らせておこう。明治19年(1886)2月18日、教祖、櫟本警察分署に15日間拘留の時である。伝承された史実にはこうある。

 雪が五寸も積もっているという夜中に、教祖は「一節一節芽が出る…」とつぶやくようにいわれました。これを聞いた巡査は、「婆さん、だまれ!」と怒鳴りつけました。おひさ、、、は慌てて、「おばん、おばん」と止めました。祖母なので「おばん」と呼んでいたのです。そのときみきは、「ここにおばんはおらん、神様が言うてはんのや」と厳しい言葉を下さいました。これは巡査より怖かったとおひさ、、、は後に語っています。

 巡査はこの声を聞いて、余計にいきり立ち、10日以上も断食を強いられている89歳のみきを、庭の向こうの井戸端に引き据えました。しかも雪の上です。「頭を冷やしてやる」とばかり、水をかけようとしましたが、おひさ、、、は巡査にとりすがって、水はかけさせなかったと語っています。その当時、清水与之助は神田家に頼み込んで従業員になりすまし、分署に続く蔵の陰から中の様子をうかがっていたということです。また、神田家の番頭達も中の状況を伝えています。それによるとある人は頭から水をかけたと言い、またある人は綿入れの衿上を開けて、ひしゃくで背中に水を流し込んだと伝えています。
 3.12日、この頃のこと、心勇講の山田伊八郎とその義父にあたる山中忠七が、櫟本拘留の原因となった上村吉三郎の行き過ぎを詫びにきた。これに対し、みきは、「心勇講はようつとめてくれた、ごくろうやったなぁ」と云われ、「弱っていない証拠を見せる」として、伊八郎の甲の手の皮をつねって見せ、次のように宣べられた。
 この力のある限り、神の思し召しは伝えていくで。世界を助ける為には、なんじゅうを助け、ろっくの地に踏みならすという、心定めのおつとめをやらせたい。でも、高山がこれを止める、残念でならん。今の私は、苗代の種と同じことや、種は形が消えても、芽がのびて、やがて稲穂となって、実りをもたらすものや。

と、お諭しされた。こうして、教祖は不退転の「ひながた」をお示しなられ、引き続きお仕込みと指図を為されていた。この時の教祖のみ言葉が、「山田伊八郎文書」で次のように伝えられている。
 この何度も上からとめられるのは、残念でならん。この残念ははらさずにおかん。こんどは、たすけより、残念はらしが先。
(私論.私見)
 この件は、史実教理であるから特段のことはない。
 みきへの切り口上は、残念はらしに直結します。

 五つ理を吹く。 

 明治19年(1886)の五つ理を吹くは、明治24年。日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)である濃尾地震。(濃尾平野北部で発生したマグニチュード(M)8.0の巨大地震)。これが、残念はらしそのものです。

 甚大な被害

 地震による被害は、死者7,273人、全壊家屋142,177戸に上ります。阪神・淡路大震災の死者・行方不明者6,437人、全壊家屋104,906棟を上回る被害です。当時の日本の人口は4千万人程度ですから、人口比を考慮すると阪神・淡路大震災よりも遥かに大きな被害で、関連死・行方不明者を含め2万人強の犠牲者を出した2011年東日本大震災に匹敵します。被害は岐阜県と愛知県が顕著で、岐阜では焼失家屋が多数発生しました。内閣府の報告書によると、道路破裂20,067か所、橋梁損落10,392か所、堤防壊裂7,177か所、山崩れ10,224か所もの被害が発生しました。とくに、断層に沿った美濃で大きな被害になりました。岐阜県や福井県では、山々が崩れて多くの河川を堰き止め、天然ダムもできました。また、多くの堤防が損壊し、土砂流出も多かったことから、その後、木曽三川周辺は、水害や土砂災害に悩まされることになりました。地盤が軟弱な濃尾平野西部でも大きな被害が出ました。液状化は、濃尾平野に加え、静岡や、福井、大阪などでも、広範囲に発生しました。東日本大震災のときに震源から離れた東京湾岸で液状化被害が大きかったことを彷彿とさせます。

 この地震では、名古屋郵便電信局や尾張紡績工場などのレンガ造の建築物が倒壊しました。レンガ造建物の被害は木造家屋に比べ微少でしたが、近代化の象徴だったレンガ造建築の被害は、当時の人々にとっては衝撃的だったようです。このため、多くの建築研究者が被害原因を分析し、「建築雑誌」の誌上で近代建築の耐震化の在り方を議論しました。また、被災地でのレンガ造建築の被害のショックは大きかったようで、震災後に作られた愛知県庁本庁舎は、当時には珍しく木造で建設されました。
(私論.私見)
 濃尾地震を「これが、残念はらしそのものです」として解析している。この件はSA氏の独壇場の解析である。教祖の「残念はらし」を天災地変に求めてパズル嵌めしているようだが、随分矮小諭しにしている気がする。カニは己の姿に似せて穴を掘るので、この御仁に説教しても通じまい。
 五月五日にたしかでてくるのも、神に立腹であり、1886年の五月五日の数理は55年後で1941年。12月6日、昭和天皇はルーズベルト大統領の、「平和を志向し関係改善を目指す」との親電を送るを拒否します。12月20日太平洋戦争勃発であり、五月五日の理の事情は、天皇の好戦的態度、意思表明から、五つ理を吹くの5年で、1946年日本国憲法発令となり、天皇は神の地位を失います。
(私論.私見)
 この件もSA氏独壇場の「五月五日の五つ理を吹く」解析である。
 みきの天罰がどんなに恐ろしいか。れんだいこさんは知らないでしょうが、みきはあいまいに、人間でもあるかのように、羅列してきているのを改めないと、嘘を言うてきたようなものですから、天の返しを見ることになるでしょう。
 れんだいこさんは、実は、天理教会やってみようかを、実行しているようなものです。天理教団の誤りを指摘しているなかに、自分が真理だと、真理の語り部だと、思い込む残念があります。散華くださるを、期待します。
(私論.私見)
 最終文で突如、「みきの天罰がどんなに恐ろしいか。れんだいこさんは知らないでしょうが」、(れんだいこのみき観は)「嘘を言うてきたようなものですから、天の返しを見ることになる」という。「嘘を言うてきたようなものですから」の論証はなく最後に「散華くださるを、期待します」となる。かく自分の云い得云い勝ちの断定で、れんだいこの散華を要請する。結局、この結論を言いたいだけの、それまでの話は前振りに過ぎないことが分かる酷い話になっている。

 この御仁は、みき教祖を一途に信奉しているかのように論調しているが、みき教理をイエスキリスト教との絡みで解釈したり、みき言葉を脅迫報復的に卑大させて恣意的に活用しているだけの、みき教理の本筋とかなりずれた論を披歴している。この御仁は恐らくユダヤ-キリスト教圏の教理が本籍にある天理教部外者であり、そういう者の煽り文であることが透けて見えてくる。こういう者に散華を云われとうはないが、意図するところがあって余計に云うのだろうくわばらくわばら。道の識者から諭されるのは一向に構わないが、道のまがい者より頓珍漢問答されるのは本スカン。

 2024.3.7日 れんだいこ拝

【A氏のれんだいこ教理批判考その1】
 SA氏が続いて、2026.9.16日、「Aは、 れんだいこ教理を批判しておく」をサイトアップしている。
 れんだいこの返答
 みきを神とする説にも色々あって一筋縄では行かないことは常識である。この御仁がどういう「みき神説を述べようとしているのか分からないままの、みきを神とせぬ妄説であるなる謂いは、云い得云い勝ちな論法ではある。

 A氏は返しとして次のように述べている。
 みきを神とする説は、みきの和歌である。色々ない。(4-79) れんだいこさんは天理教の素人さんである。理がわからないのは無理のないことであるが、神は親の理である。
(私論.私見)
 A氏は、この返しで何を言いたいのか、分かりにくい。仮に「親の理が神」と言いたいのだろうか。しかし、それで「神の理」の説明が足りるとする論には与せない。
 れんだいこの返答
 ところで『理を解け』は表記ちがいだろうか。次の「『説いていたなら、みきは、お働きができた』の意味も、私には意味が通じない。逆から窺えば、『説いていなかったから、みきのお働きが(十分に)できなかった』と云っていることになるが、説いていようがいまいが、教祖みきはお働きされたのではないのか。『理を諭さねば、なににても知らぬ間はそのままやである』も、どういう意味で引用されているのか不明である。

 SA氏は返しとして次のように述べている。
 「説いていたなら、みきは、お働きができた」は和歌にあるみきの御命令が根拠である。天理教の素人さんでは意味は分かるまい。病助けでは細かしく説くは常道である。お助けの心得である。(9-57) 
(私論.私見)
 SA氏は、この返しでも何を言いたいのか、分かりにくい。「天理教の素人さんでは意味は分かるまい」との上から目線の物言いは教養が疑われよう。「みきの御命令」なる表記もウソ臭い。教祖みきは終始一貫「談じ合い」を重視したところに意義がある。教祖が「ご命令」を発したことがあるだろうか。契約とか命令なぞはユダヤ-キリスト系の神教理に特有のものなので、これに被れ過ぎているのではなかろうか。
 SA氏は、次に、「病助けでは名だたる病助けの名人たちが平野楢臓・松村吉太郎らに追放された事件があります」の前振りで、以下次のように述べている。
 天理教辞典に、明治37年「この年、教内廓清のため、教師1400余名を淘汰免職」とあります。ご存じでしょうか。この出来事について「不良教師事件」という名の下、当時の教会本部が教内の反教団分子の粛清を行ったと言う物騒な話としてネット上にアップされる時があります。

 事実であり、
Aは、粛清された不良教師の理の子(孫弟子)です。本席宅にて住み込み青年していた不良教師は、みきは神であると説くのをやめず、信州にお助けに来ました。まさしく神業的なお助けで、不良教師のカバン持ちをして宮島佐太郎は、病助けの職人でお諭し名人でした。Aの師です。Aは不良教師から宮島佐太郎が学んだ甘露の授けを学びました。一目で諭すと、「こまかしくとく」を学びました。四十、五十ははなたれ小僧と学びました。五十年のひながたを通れです。
(私論.私見)
 SA氏が、明治37年の「不良教師事件」の被粛清者の理の子(孫弟子)であるということは分かりました。ちなみに、「四十、五十ははなたれ小僧」は「五十六十洟(はな)垂れ小僧、七十八十働き盛り」(口伝)と習っています。
 れんだいこの返答
 濃尾地震を『これが、残念はらしそのものです』として解析している。この件はA氏の独壇場の解析である。教祖の残念はらしを天災地変に求めてパズル嵌めしているようだが、随分矮小諭しにしている気がする。カニは己の姿に似せて穴を掘るので、この御仁に説教しても通じまい。

 A氏は返しとして次のように述べている。
 「説いていたなら、みきは、お働きができた」は和歌にあるみきの御命令が根拠である。
(私論.私見)
 返しになっていない。

【A氏のれんだいこ教理批判考その2】
 2016.9.16日、「Aは、 れんだいこ教理を批判しておく。Aは天理教学生会を教団組織に正式に組み入れた」で、SA氏は、れんだいこの次の一文を転載している。
 この御仁は、みき教祖を一途に信奉しているかのように論調しているが、みき教理をイエスキリスト教との絡みで解釈したり、みき言葉を脅迫報復的に卑大させて恣意的に活用しているだけの、みき教理の本筋とかなりずれた論を披歴している。この御仁は恐らくユダヤ-キリスト教圏の教理が本籍にある天理教部外者であり、そういう者の煽り文であることが透けて見えてくる。こういう者に散華を云われとうはないが、意図するところがあって余計に云うのだろうくわばらくわばら。道の識者から諭されるのは一向に構わないが、道のまがい者より頓珍漢問答されるのは本スカン。

 SA氏は、れんだいこのこの返答に対し、「病助けに効能あるが、それが道のまがいものでないとみきさまお認めの証拠である。以下をご一読あるを願う」と前ぶりして、次のように述べている。 
 神の残念晴らしたい みきは世界を支配する 皇帝の時代の終焉 数理130 神の残念晴らしたい みきは世界を支配する
(私論.私見)
 SA氏は、先の「神の命令」に続いて「世界の支配」を持ち出している。れんだいこの知る限り、この種の表現とか、思想、教理に最も徹底して対抗したのが教祖みきであったと認識している。だから話が噛み合わないんだな。
 SA氏は突如次のように述べている。
 百姓女の中山みき(天理王命)は1875年6月29日ぢば定めを行い、「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを教えた。また「おびやつとめ」などの手を教えたが、みきは世界を歌の理で責める上で、お筆先を執筆、第八号(明治八年貮月)に「残念晴らしたい」の歌があり、その和歌は、(8-1)で予言、感染症での理の責めを歌っている。(8-31)(8-32)(8-33)と、お筆先第八号冒頭の右3首の歌にて、残念晴らしの手段に感染症・疱瘡を例示し、感染症の救済を説き、帯屋守りを説き、救済の守護を説くが、これは決して良い話ではない。天罰で大発症するの予言であり、第九号では、(9-9)(9-33)(9-34)(9-35)と、天罰の防御への対策、処置を求めている。救済の道を先に教えておいて、数理で災難を出すのはみきの戦略である。

 みきを信じ、みきの知らせの意味を知り対策、処置していれば災厄は小難、無難で終わる。
大難にするかしないかはみき次第であり、みきを信じるなら小難、無難で、感染症の重症化は防げ、少子化の社会は防災出来るけれど、みきに従わないなら、理に従っての処置なければ、大難を呼び込むから、感染症被害は増加し少子化は著しく、人口減少の事態となる。天罰である。
(私論.私見)
 SA氏見解として承る。但し、末尾の「大難にするかしないかはみき次第であり、みきを信じるなら小難、無難」は、みきの言説に左様なものはなかろう。SA氏はこういうオ-バ-ラン解釈を平気でする癖がある。

 SA氏は続いて次のように述べている。

 天の将軍みきは予言して予告の実現で権威を示す。目的は月日親神の深い思惑を教え帯にあり、そこに病助けを教えたいがある。明治8年(1875)に、先に理(ことわり)を告げているみきである。(9-38)(9-39)( 9-40)(10-1)(10-2)(10-3)(10-4)(10-5)(10-6)(10-7)(10-8)
 SA氏は続いて次のように述べている。

 みきは、「唐やというたとて 日本の者にこれはかなわん」と、唐人に勝利を予言した。唐人への勝利は数理130、2005年に送り出されている。

(私論.私見)
 「唐人への勝利は数理130、2005年に送り出されている」もSA氏見解として承る。れんだいこは同調できない。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 唐人の国、中国(中華人民共和国)では、食そのものに影響ある高病原性鳥インフルエンザをみきは送り込んだ。鳥インフルと呼ばれるが人獣感染の病原体として危険な未来が待つ。唐人の国、西側諸国の代表である米国には感染症対策そのものを崩壊させる医療崩壊をみきは送り込んだ。唐人の医療体制終焉を送った。経口感染の原因の食に天罰を用意した中国の場合であるが、以下は2005年の記事を、[Wikipedia 鳥インフルエンザ]から引用する。
 中国では家禽の飼育数が150億羽近くもあり、世界の5分の1を占めている。また中国では切り身の生肉だけではなく、ケージに入れられた鶏・鳩・ウズラ・アヒルが生きたままの状態でも売られている。2005年5月に、青海省で渡り鳥6000羽余りが鳥インフルエンザで死んだほか、その年だけで5回にわたる家禽への鳥インフルエンザの感染があったため、厳重な警戒を強めた。

 2005年10月には、内モンゴル自治区フフホト市、安徽省天長市、湖南省湘潭県で鳥インフルエンザが報告された。安徽省の24歳の女性が鳥インフルエンザに感染し、10月1日に発病し、発熱、肺炎の症状を示し、10月10日には死亡した。中国東北部、遼寧省では10月下旬から鳥インフルエンザで鶏が大量に死んでいる。

 2005年11月にも遼寧省、湖北省などで家禽がH5N1型の鳥インフルエンザに感染し、300羽から2500羽が死んでいる。感染地域周辺3キロの家禽3万1千羽-250万羽を処分して感染の拡大防止に努めた。また同月16日に湖南省と安徽省でそれぞれ1人、鳥インフルエンザの人への感染が確認された。中国政府は国内初の人への感染が確認されたことで鳥インフルエンザ対策をさらに強化した。10月以降、鳥インフルエンザの家禽への感染拡大防止のためワクチン接種に力を入れた結果、約50億羽の家禽が免疫を持ったと中国農業省が2005年12月21日に発表した。(中略)・・
 H5N1型の鳥インフルエンザウイルスは、鳥から鳥に感染するものであり、まれに人に感染することがあるが、ヒトインフルエンザウイルスと異なり、ヒトからヒトへの感染拡大は確認されていない。しかし、鳥インフルエンザウイルスの感染が広域化・長期化しているため、豚やヒトの体内で突然変異する危険性が高まっている。多くのウイルス学者らは、ヒト新型インフルエンザの発生が15-20年の周期で起きる可能性をすでに1980年代後半から示唆しており、最後の新型インフルエンザ発生にあたる1977年のソ連かぜから20年後に発生した香港鳥インフルエンザが新型ヒトインフルエンザとして大流行する危険性を指摘している。世界保健機関 (WHO) も、香港1997年型の発生直後から、鳥インフルエンザの監視体勢を強化しており、2005年には世界各地で流行している鳥インフルエンザが、いつ突然変異で新型ヒトインフルエンザになって世界的な大流行(パンデミック)を起こしてもおかしくないと警告している。そうなった場合、最大で5億人が死亡すると試算されている。(引用終わり) つまり大量死、出産トラブルと感染症の大流行は世界の人口の減少と直結しているのである。 

 そして、2005年11月16日 - 中国で鳥インフルエンザ感染者が死亡したと発表。中国で感染による死者は初めてである。みきの力で凶悪有毒性のヒト感染型鳥インフルが発症するとしたら、満月の数理150、2025年であるだろう。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。れんだいこは同調できない。「みきの力で凶悪有毒性のヒト感染型鳥インフルが発症するとしたら、満月の数理150、2025年であるだろう」なる「みきの力論」は、みきを称えているつもりなのかも知れないが、れんだいこには逆に映る。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 2005年晦日の数理は、医療差別を確定させた米国に医療そのものへの攻撃が開始され「医者も薬もこれは敵わん」の西側国家体制への攻撃であった。

 米国では、肺炎は インフルエンザと並んで、死因の第8位であり、感染症による死因の第1位、ウイルス性の感染症の肺炎は2005年には米国で米国胸部学会(ATS)と米国感染症学会(IDSA)は、2005年2月、HAP(Hospital-Acquired Pneumonia:院内肺炎)、VAP(Ventilator-Associated Pneumonia:人工呼吸器関連肺炎)、HCAP(Healthcare-Associated Pneumonia:介護施設肺炎)の新しい治療ガイドラインを共同で作成し、発表した。日本も同じような体制を敷いているが、医療制度において国民皆保険でない米国では貧乏人は死ねという差別であり、これをみきが自白させたのが2005年である。

 肺炎は、入院患者にみられる感染症の中で、最も一般的な死因であり、発展途上国ではあらゆる病気の中でも最も一般的な死因であり、肺炎はまた、小児や乳児における重篤な感染症の原因の中で最も多いものの1つであり、欧州と北米では毎年1000人中34~40人の小児や乳児が肺炎にかかっている。天罰炉しての人口減少の最大要因である。

 食生活における不平等の国中国、医療制度において不平等の国米国では、その不平等を衝いて、みきは天罰の用意をしたという事である。
 神の残念を晴らすと宣言して、みきは世界を支配するが、「見えぬ先に説く」とみき・天理王命は告げた。予言に間違いはないという。お筆先第十号に知らされた「唐天竺も心澄まして」や「月日自由用知らせたい」は、みきの支配の本質を告げている。谷底の方々を保護するという意思そのものである。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。れんだいこは同調できない。「みきの天罰論」、「みきの世界支配論」を平気で唱えているが、これは天理教理の根幹に関わることであるが、神の慈愛は深く天罰とか、世界支配には関わらない、そう云う教理として拝させていただいておる。「天罰論」、「世界支配論」を平気で唱えるのはネオシオニストの常用する思想である。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 みきは「言い残し」を伝える役割であり、真理は真理の原則に従い先に知らされてある、この世には元々元の神である主、天照大神、ゼウス、釈迦(太陰神=月)、イエス(太陽神=日)、諸々の地神・天神の存在と意志が伝わる。

 そうした神話伝説は無条件に信じられていたが、やがて社会の権威となり、宗教儀式を生み、社会の中心に神仏が置かれる神の社が登場する頃には、神仏の教えは倫理や規制を社会に与えて神政政治が行われることにもなる。

 生めよ増やせよ、地に満てよの教えは、いつも豊年を祈願する教えは、そのための信仰行動を生み出し、領土拡張が信者拡大であると短絡的に結びついて、帝(みかど)による統治を構築し、帝(みかど)とその側近の為政者は、侵略を正義と断じた。
(私論.私見)
 ここで、SA氏は妙な見識を披歴している。教祖みきの教理とは別種のものをみき教理として披歴している。「生めよ増やせよ、地に満てよの教え」はユダヤ教聖書の一説であり、SA氏がかなり染まっていることが分かる。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 世界史においての先例は、中華(中国が世界の中心であるという)思想で裏付けた皇帝思想であり、帝が採用した仏教、儒教など、時代ごとの思想を武器として、思想支配し領土化するの侵略がなされ、ローマ皇帝は西欧において植民地支配のバックバーンとなり、侵略にキリスト教布教が利用された。江戸時代末期の米国の日本への到来は、その侵略の実例である。 

 始皇帝、ローマ皇帝以来の為政者の宗教の政治利用。の歴史の積み上げは、経済的発展とみれば、人類の成長であるが、格差と差別を拡大させた。支配に宗教や思想が用いられ、偽仏教、偽キリスト教思想を構築させ、偽の自由、偽の平等、偽の共産主義を世に蔓延させ、世界中で攪拌される宗教・思想による支配の効果を生んでいる。これがみきのお怒りの唐人思想で、歴史上中国の唐王朝の縦に複数の支配構造で特権階級を最上部に温存保護する仕組みが、その原型である。偽の法治国家である。
(私論.私見)
 ここで、SA氏は、かように世界支配に言及するのであれば、ネオシオニズムに対する言及が不可避で、警鐘をすべきところ中華皇帝、ローマ皇帝、米国にすり替えて物言いしている。お粗末としか言いようがない。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 米国の来襲以前の日本では神仏は尊ばれていて、神仏の正義は思想的に為政者の上位にいたが、唐人米国は日本に開国をせまり思想支配を開始した。それは正しからざる偽キリスト教の思想を押してけていて、本来宗教にある月日の自由自在を失わせ、明治2年に「拝み、祈祷」は禁止されている。教会以外では奇跡を願ってはならないという欧米の大社の思想支配である。

 キリスト教会の認める儀式と倫理の宗教は統治上許されても、土俗の実効ある拝み祈祷を排除ならば、人類の不老不死への道も閉ざされる。土俗の信心は元の神実の神への信心であり、弾圧は天への挑戦行為とみなされた。野蛮という言葉で蔑まれた、この為政者の神仏拝み祈祷排除は、日本で世界で、土俗宗教へのジュノサイドを行った残念な統治行為記録の一例として歴史には残されたが、土俗であるから禁止するという、そんな状態では神仏は病人たすけに働けない。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。ここは同調できる。「土俗の実効ある拝み祈祷禁止」を批判するこの観点は興味深い。私もこの経緯に着目し持論を持っている。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 上(為政者・権力者)の道具に用いられた宗教の腐敗と堕落は神仏の救済の邪魔そのもので、みきは月日(神仏)の自由自在は、上ゑぬけたる事ならばと予言をしている。上の政治支配と、宗教支配が撤去されるを予言している。(10-100)(10-101) 明治8年(1875年)6月29日みきは「ぢば定め」を行う行動に出ていて「いちれつすますかんろだい」の呪詛(祈り言葉)を開始、歌の理の責めを告げる。(9-1)(9-2) こうして、歌の理の責めを、月日の直々とし人間の心と思うなを指示した。先ず予言し、その上で百姓女の取り掛かった仕事は、お筆先11号にて(11-52)と示し(11-80)とみきは無敵を宣言した。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 終末予言の数理はイエスの13階段の数理、みきの正月晦日130の数理でありみきの「一列澄ます甘露台」の呪詛は、見えぬ先の予言である。天災研究は予言研究そのもので、飯降伊蔵(大工)の予言研究も当然含む。みきは「一に大工の伺いに何かのことも任せおく」を呪詛し死んでいる。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。今度は「みきの呪詛論」を持ち出している。これもオ-バ-ラン解釈であり、平気でされていることに違和感を覚える。「みきは『一に大工の伺いに何かのことも任せおく』を呪詛し死んでいる」も変な書きぶりである。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 みきは明治7年(1874年)12月23日呼び出され山村御殿(奈良市山町)へ行き真の神かと罰を当ててみよと叱責される。12月26日(陰11月18日)赤衣を着る。罰を当ててみよと言われて、みきは新約聖書に記述された赤衣装をまとう。仏罰は五濁への罰で5,25,125の数理、イエスは審判で13の数理。

 1999年から2002年に極大期の太陽活動で2020年には黒点が表面から消えた。黒点は太陽磁場の強い場所の証拠でそれが消えたのは磁場の衰退を示した。 

 山村御殿で、罰を当ててみよといわれたみきは「火、水、風退くと知れ」と断じた。1874年に罰をあてろと言われたみきは太陽をまとい黙示録に言う悪魔となった。
(私論.私見)
 これもSA氏見解として承る。ここで、SA氏は、どうしても結び付けている理由が分からないが、「新約聖書に記述された赤衣装」、「黙示録に言う悪魔」なる物言いをしている。お里が知れるとはこのことだ。みきの赤着衣装理由として、「罰を当ててみよと言われて」赤着衣装となったとしているが、そのような教理はない。独特の脚色をしていることが判明する。「みきは太陽をまとい黙示録に言う悪魔となった」も然り、こういう教説はない。SA氏が学んだのか独自に編み出したのか分からないが、独特の脚色をしている。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 1874年から125年は1999年で、1875年の130年は2005年唐天竺に相当する中国でSARS感染源の研究がなされ(人民網日本語版2005年10月1日)、偽思想・偽宗教支配の終焉、正月晦日には人間の悪意の自白を自白させた。中国のSARS研究は軍事利用目的の悪しきで、神仏は中国のSARS研究を審判すると数理上の事実に見せた。予言の数理126は正月26日を意味し始め掛けの数理であり、実際にみきの死は1887年正月26日である。
(私論.私見)
 ここの下りにも少々呆れている。「実際にみきの死は1887年正月26日である」と平気で書いているが、「存命の理」との絡みなしでこう書くのは荒っぽい。
 SA氏は続いて次のように述べている。
 感染症(ほうそ)の予言でいえば1875年はほうそ(感染症)の守りの予言で、審判の数理130で2005年中国は守りの研究と称し実はバイオ兵器研究を開始し、日本では審判の数理130で2005年感染症法を整備しているが実は見掛け倒しで国民の健康より医療ビジネス優先の悪で、みきは、中国の悪、日本の悪を見える前から、数理(年月日)で審判していた。

 お筆先12号はみきは赤い衣装で身をくるみ、1875年12月27日に執筆開始され(12-1)(12-2)と、宣言してから1876年4月4日よりの年月日にて胸の掃除をうたわれた。(12-7)(12-8)
(私論.私見)
 「みきは、中国の悪、日本の悪を見える前から、数理(年月日)で審判していた」なる見立ても教理にはない。SA氏が学んだのか独自に編み出したのか分からないが、独特の脚色をしている。

 SA氏は続いて次のように述べている。

 胸の掃除宣言の1876年の、開始される数理126年は2002年でSARS感染開始。新型コロナ感染症災害の始め掛けは世界の胸の掃除、肺炎の制覇開始でもあるが、みきに逆らえば感染被害、医療崩壊被害の拡大である。

 お筆先13号は執筆年が明記されておらず、明治十年(推定)1877と悟る。1876 胸の掃除宣言。⇒126 中国ヒトヒト感染ウイルスSARS発生、感染開始。1877 なんでも残念あらわす宣言 ⇒126 SARS(重症急性呼吸器症候群)発生。

 (13-19)(13-20)(13-113)(13-114) 
 このように、1875年の予言と2005年実現を130年の数理できちんと繋げる。これが一列澄ます呪詛の威力であって、悪事の開始を数理が示してしまうのだが、中国の生物兵器テロ研究は神仏に見抜かれていたと坂井は数理で確認ができた。

(私論.私見)
 「呪詛の威力」を頻りに説いているだけである。新型コロナ感染症災害を、教祖みきの「世界の胸の掃除、肺炎の制覇開始」として唱えるのは狂っていよう。新型コロナ感染症災害の仕掛け人を裏から庇っている理屈になっている。
 A氏は続いて次のように述べている。
 予言と予言の数理で見える、この因果関係は明治20年(1887年)6月24日のおさしづにこう示されている。おさしづとはみきの後継者、飯降伊蔵の神減である。『筆先通り皆な出る。今度道はいつどう、いつ見える、筆先皆な知らせてある』と。伊蔵はお筆先に予言があり、その通りに皆出るとの解説をした。そのおさしづは『泥水流れるなら、どういう事、いかなる水の掛かり。取次、これをしっかり聞き分け』と、続きが伊蔵の口で語られ記録されている。

 筆先に知らせた水のかかりについて、お筆先索引(道友社)で確かめてみると、水の掛かりとは、七十八年老母1875年の予言、明治八年貮月のお筆先に水の災害の予言がある。明治8年の予言がいつ見えるかは正月晦日の数理が1号にある。泥水流れる事情、それはいかなる水のかかりか、お筆先7号におうたがある。(7-11)(7-12) (7-13)が、水についての理の責めのお歌である。高い山に水が漬く、谷底に水漬きの危険がないということは、自然現象としての水漬きの話ではなく、理の話である。現実に中国は高い山の水つきにおびえている現在である。

 SA氏は続いて次のように述べている。

 1875年の予言と2005年実現を130年の数理できちんと繋げると、それを意味する報道があった。

 2005年5月28日アメリカのテレビ番組「ディスカバリーチャンネル」で「世界史における人為的な科学技術の過失による災害TOP10」という特集番組が放送された。同番組によると、世界史上、最も悲惨な人為的過失による災害は1975年8月8日に、中国で発生した「河南省『75・8』ダム決壊事故」。この災害は中国共産党政権により隠ぺいされていた。災害隠蔽の悪事発覚であった。

 天理教では、火、水、風は一の神と教えている。「水は理」と教えている。理が漬いた。中国の嘘が発覚したのである。実際の事故は1975年8月河南省豪雨災害である。中国は清の第6代皇帝乾隆帝が清王朝の最盛期を創出したが、1795年乾隆帝は大嘘をつく。85歳の乾隆帝は第7代嘉慶帝に譲位をしたが乾隆帝は太上皇となっても実権は手放さなさず、自身が重用した奸臣和伸(ヘシェン)を重用し続けた。清国は世界のGDPの3割を占める経済大国だったが、和伸は清の国の歳入10~15年分を自分の懐に入れていて、世界最大の大富豪であり、嘉慶帝は乾隆帝が太上皇となっても実権を手放さなかったので、乾隆帝が死ぬと直ちに奸臣和伸を殺した。乾隆帝の時代に富の偏在で民衆の暮らしは苦しくなっていった。そうした民衆は匪賊となり、白蓮教を紐帯とすることで政府に対する反乱となった。このような反乱は乾隆末期から起きていたが、中でも天理教徒の乱ではわずか80名足らずながら反乱軍に紫禁城にまで踏み込まれ(酉の変)を壁に射立てられたという。第7代嘉慶帝は1795年に譲位を受けても結局民衆のための行動に出ていない。1795年から弥勒の数理180年の1975年、河南省『75・8』ダム決壊事故である。
(私論.私見)
 SA氏が世事に強い関心を持つ方であることは分かった。が、恐らく俗にいう狂信家の一人だろう。それは構わないのだけれども、みきを信奉するならもう少しみきに即して語るのが良かろう。

【SA氏の素性考】
 2026.9.17日付けブログ 「れんだいこさん Aは天理教の教育者と親交を重ねている まがい物ではない」に応答しておく。
 2023-09-02 00:14:01に書いておいた。
 坂井明久は天理教の教育者と親交を重ねている。坂井が、誕生においてご縁があり最初に出会った知識人は、天理高校校長で塩谷寛先生が最初の方である。世界中の誰ひとり天理教を信じない時がきても、私はひとり、おやさまに付いていくと、堂々宣言した方であり、父母は、尊敬し、私とは、仲良くして下さったが、「坂井君、君は信念が強すぎる」と、坂井の過激を戒めようとされた。信心の固まりの先生は、二代真柱様信仰の塊で、天理教育に純粋な方だった。

 天理大学関係では、天理大学学長大久保昭教先生は当時、彦根分教会の会長であるが、彦根分教会の布教所が坂井の家の近くにあって子供の頃そこでしばしば出会っていた。坂井とは顔見知りという事だけでなく、坂井とは松本市の実業家の信者(坂井の布教所に奥さんが参拝していた)をどこに帰属させるかという件で面談している。坂井は帰属先を彦根に差し上げて、そこは所属を彦根分教会の信者となった。大久保さんは天理教では著作物を出している知識人だが、坂井にはいつも下手に出ていた。教えを説く語るの無い方だった。印象でいえば信仰者の匂いはなく、それは本人も認めていて、坂井を信心において立てるようにし、いつも下に位置し、坂井と比較して自分の無信心を認めていた。坂井は病助けは常道であった。

 天理大学学長の橋本武人先生は、おさしづ研究の本を出されていて、温厚な人格者であるが、信心として優柔不断で、橋本家のご家族の悩み事でお目にかかった時、助かりにくいと見えた。何れにしても、どの方も、天理教団組織擁護に徹していると見えた。それは坂井には正しい信心ではないから愚かである。

 坂井は統一教会の天理教団若手幹部侵攻を妨害のために天理大学宗教学科に入学した。本部員子弟など20名ほどが誘惑を仕掛けられていたが、贋キリストの統一教会は教理論争も何もない。侵攻は失敗した。統一教会と単身戦ったのは、みき様の坂井への身の知らせにしたがってである。天理教育関係者も素人だから、教育関係者の誰にも相談などしていない。みき様の仕事のお手伝いである。天理教団関係者には清水国夫さん表棟梁関係者もいたが、みき様を神・親神と知らぬ素人だから、関わらぬように用心した。そうした用心に一貫し、(A)坂井明久は、 れんだいこ教理を批判しておくとしたが、坂井明久は表棟と図り天理教学生会を教団組織に正式に組み入れた。真柱裁定はあった筈で、坂井は道のまがいものではない。  

 れんだいこさんにおかれては以下の誤解を訂正頂きたい。
 この御仁は、みき教祖を一途に信奉しているかのように論調しているが、みき教理をイエスキリスト教との絡みで解釈したり、みき言葉を脅迫報復的に卑大させて恣意的に活用しているだけの、みき教理の本筋とかなりずれた論を披歴している。この御仁は恐らくユダヤ-キリスト教圏の教理が本籍にある天理教部外者であり、そういう者の煽り文であることが透けて見えてくる。こういう者に散華を云われとうはないが、意図するところがあって余計に云うのだろうくわばらくわばら。道の識者から諭されるのは一向に構わないが、道のまがい者より頓珍漢問答されるのは本スカン。
(私論.私見)
 SA氏の素性について、SA氏は教外者ではなく、お道の篤実な実践者であるとの要旨は承った。SA氏が、統一教会の天理大学宗教学科入学、本部員子弟など20名ほどの誘惑に対して「統一教会と単身戦った」奮闘履歴がある云々の件では好意的に受け止めておく。但し、申すべきことは言っておかねばならない。

 「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」をものしたのはSA氏と認識している。この認識に間違いなければ、題号からして、SA氏はかなり不作法な御仁であろう。かなり高慢埃を被っているやに見受けられる。

 そのSA氏はさらに「れんだいこさんは、実は、天理教会やってみようかを、実行しているようなものです。天理教団の誤りを指摘しているなかに、自分が真理だと、真理の語り部だと、思い込む残念があります」と述べている。自分の思い込みの強さを差し置いて、最後に「散華くださるを、期待します」とまで言う。こういう物言いをする者が、教祖直列の信徒として自他ともに好評されるべきだろうか。

 SA氏が、教内にそういう箔があることは分かったが、そういう人物であれば何を言い為そうとお咎めなしとは行くまい。れんだいこの感覚としては、人格的に粗暴であって、教祖みきのひながたとはかなりズレている。教理的にも既にかなりネオシオニズムテキストに親交していることが分かる。そこで仕込まれた教理とみき教理とを渾然一体化させてSA教理化しているように受け止めている。既に分派の域にあり、呪詛天罰教として押し出せば信奉者も出るかもしれない。

 そういうSA教理観で、己の説に馴染まぬ者に暴言するのは、天理教人としてのみならず社会人としての素養を欠いているのではなかろうか。SA教理で広範囲の時事問題を解析しているが、宗教的な言及としてはとにかくも、政治論的見立てではネオシオニズム論を欠く硬直的なものになっている。自然災害も人工災害も政治災害も皆な親神の仕掛けによる手の内のものとする論法は危ない危ういものでしかない。

 れんだいこは、れんだいこ教理を確立しつつあり、「不良教師事件」についても「不良教師」の方にシンパシ-を寄せている。してみれば、「不良教師の理の子(孫弟子)」を自認するSA氏とは近い間柄になる。そういう間柄のれんだいこに対して、何を血迷ったかれんだいこをかく誹謗し、平然と「散華を期待する」のは如何なものだろうか。常識的に不作法で、度が過ぎていよう。みき教理精通の第一人者を自覚しているようなので、余計にはしたないと思う。

 れんだいこに言わせれば、SA氏のような人は近親憎悪癖者になる。SA氏はこの癖を直せるものなら直さねばなるまい。でないと、人が近寄れなくなろう。それは本意ではないだろう。小生は、近親憎悪癖を戒めるのは、あらゆる運動体に言えることと教訓化しているところでござる。このことが分からないうちは若い、即ち成人していないことになる。

 本ブログ者は、SA氏を認め、れんだいこを認めている風があり、それ故に悶着を心配して本ブログを発信していると思われる。こういう場合の仲裁は両者をたしなめることではない。のべつくまなくの喧嘩両成敗は事態を何ら良い方に解決しない。仲裁者が為すべきことは、経緯を確認した上で、先に手を出した方をたしなめるべきである。中山みきの在野研究者を自認しつつ精進を続けているれんだいこに対し、「みき教理を悟れないれんだいこ」と誹謗し、「散華を期待する」とまで言う感性を叱ることである。手前がそう言われ、されて嫌なことを人にするなかれが社会人の第一歩であろう。

 SA氏はれんだいこに比すれば恐らく若い方であろう、と思っていたが何と1歳上の1949年生まれらしい。同じ時代の空気を吸って今日まで生きてきたことになる。そして共に天理教教祖みきに列なるご縁を持つ。本来なら弥栄めでたいと称え合う間柄ではなかろうか。

 ここ数日、SA氏のブログを読ませてもらったが、取り込ませてもらいたい箇所が何カ所もあった。それこそお道の助け合い精神を発揮してお互いに吸収し合う良かれの学びの道があるのではなかろうか。SA氏は純宗教的にみき教理を究めんとしておられるように思う。拙者はむしろ思想的にみき教理を究めんとしていると自覚している。この路線の違いが、SA氏の不興を生んでいるように思うが、SA氏の弁えが望まれているのではなかろうか。

 拙者もSA氏も年齢的にここら辺りが最後の羽ばたきで、夕日の輝き刻を迎えているのではなかろうか。晩節を汚すまい。こたびは埃を被ったと自覚して、きれいさっぱり出直しするのが良かろう。こちらは何とも思うていない。ショートメッセージで述べたが、圧倒的無評のなかでれんだいこを正面から俎上に乗せた功績の方が大きいと受け止めている。





(私論.私見)