| その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ/考 |
更新日/2026(平成31.5.1改元/栄和8)年9.22日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、ネット検索で出会った「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」を論評しておく。この御仁のれんだいこ論評自体は良しとしよう。むしろ圧倒的無評のなかで、批判の側からにせよ、れんだいこに関心を持ったこと自体に意義がある。そういう意味で罵詈雑言で返そうとは思わない。但し、「れんだいこ散華論」を平気で唱えるとなると、当然ながらムッとする。この御仁はこういうところには無痛のようである。 2012.03.24日 れんだいこ拝 |
| 【「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」考】 | ||||||||||||||
| 原文は、2023.9.4日付けブログ「天皇教を構築した伊藤博文の偽天理教を見破りながら、その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」である。サイトは「天理教 真実の神の力」で、独善性、独断性の強い文書をかなり発信している。れんだいこ教理をどう批判しているのか学ばせて貰うつもりである。留意すべきカ所、特にナンセンスな下りを赤ゴシックにして確認しておく。著者を、当人が「A」と名乗っているので、以下仮にSA氏と命名する。(読みにくくなるので、お筆先の写し箇所は号と番号だけにする) | ||||||||||||||
| ネットにその事実が書かれている。みきを神とせぬ妄説である。 | ||||||||||||||
| SA氏は、れんだいこ教理に対し、いきなり「みきを神とせぬ妄説である」と述べ、先入観を与えようとしている。「れんだいこ教理」という位置づけ、批判の側からではあるがかく待遇されたことは良しとしよう。 SA氏の論法に、れんだいこが意見しておけば、「みきを神とする説」にも色々あって一筋縄では行かないことは常識である。突然のことで、この御仁がどういう「みき神説」を述べようとしているのか分からない。この環境で、れんだいこ教理を「みきを神とせぬ妄説である」なる「妄説」謂いは、云い得云い勝ちな論法ではある。 |
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| これは、れんだいこノ-トからの引用である。ここの件を批判しようとしている訳ではなさそうなので、特段のことはない。ところが、その後に次のような物言いをなさる。 | ||||||||||||||
| れんだいこさんは天理教の素人さんである。理がわからないのは無理のないことであるが、これを正しておかないと、大勢を迷わせるので、正しく理を知らせる。 | ||||||||||||||
| 「れんだいこさんは天理教の素人さんである。理がわからないのは無理のないことであるが」とは、これまたいきなり云い得云い勝ちな論法である。「これを正しておかないと、大勢を迷わせるので、正しく理を知らせる」とは、かなり尊大傲慢な謂いである。れんだいこは、こういう云い得云い勝ち論法、尊大傲慢な謂いに耐えねばならないのだろうか。 | ||||||||||||||
| 「3年千日のひな型」とはイエスキリストのひな型である。中山みきは「50年」である。正善しんばしらは「おやのひながた50年」と、歌詞にて示している。そしてイエスのひな型は、金銭欲、支配欲の、欲にみちた教会の掃除であった。 | ||||||||||||||
| 次に何を言うのかと期待したところ、「『3年千日のひな型』とはイエスキリストのひな型である」だと。何でここにイエスキリストが出てくる必然性があるのだろう。『3年千日のひな型』をイエスキリストと結びつけるのは教理的に如何なものか、という疑問が湧く。なるほど両者が教理的に通じているところはある。が、教祖みきがイエスキリストを意識して『3年千日のひな型』を示していたとは思えぬ。 次の「イエスのひな型は、金銭欲、支配欲の、欲にみちた教会の掃除であった」も、イエスを随分矮小させた謂いであるように思うが如何であろうか。そもそもこの時点での「教会」を何宗何教の「教会」としているのだろうか。三派にも四派にも分かれている当時のユダヤ教教会を見据えておられるのだろうか。単に「教会」ではイエスの格闘歴が伝わらないのではなかろうか。 |
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| つまり、みきのさしづは、伊藤博文に対して、天皇教に対して、支配のための宗教行為は、それは正しくないと誤りを正せであった。イエスのように真っ向から理を解けであったのだ。説いていたなら、みきは、お働きができた。理を諭さねば、「なににても知らぬ間はそのままや」である。 | ||||||||||||||
| ここでも、「イエスのように真っ向から理を解けであったのだ」と述べ、イエスキリストを引き合いに出す。みき教理を、逐一イエスキリスト教理と結びつける必要がどこにあるのだろう。 ところで「理を解け」は「説け」の表記ちがいだろうか。次の「説いていたなら、みきは、お働きができた」の意味も、私には意味が通じない。逆から窺えば、「説いていなかったから、みきのお働きが(十分に)できなかった」と云っていることになるが、説いていようがいまいが、教祖みきはお働きされた、されるのではないのか。「理を諭さねば、『なににても知らぬ間はそのままや』である」も、どういう意味で引用されているのか不明である。 |
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| みきは親神であるとの理を諭さない、残念は、みきへの謀反、切り口上である。これを知らせておこう。明治19年(1886)2月18日、教祖、櫟本警察分署に15日間拘留の時である。伝承された史実にはこうある。 雪が五寸も積もっているという夜中に、教祖は「一節一節芽が出る…」とつぶやくようにいわれました。これを聞いた巡査は、「婆さん、だまれ!」と怒鳴りつけました。おひさ、、、は慌てて、「おばん、おばん」と止めました。祖母なので「おばん」と呼んでいたのです。そのときみきは、「ここにおばんはおらん、神様が言うてはんのや」と厳しい言葉を下さいました。これは巡査より怖かったとおひさ、、、は後に語っています。 巡査はこの声を聞いて、余計にいきり立ち、10日以上も断食を強いられている89歳のみきを、庭の向こうの井戸端に引き据えました。しかも雪の上です。「頭を冷やしてやる」とばかり、水をかけようとしましたが、おひさ、、、は巡査にとりすがって、水はかけさせなかったと語っています。その当時、清水与之助は神田家に頼み込んで従業員になりすまし、分署に続く蔵の陰から中の様子をうかがっていたということです。また、神田家の番頭達も中の状況を伝えています。それによるとある人は頭から水をかけたと言い、またある人は綿入れの衿上を開けて、ひしゃくで背中に水を流し込んだと伝えています。 |
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3.12日、この頃のこと、心勇講の山田伊八郎とその義父にあたる山中忠七が、櫟本拘留の原因となった上村吉三郎の行き過ぎを詫びにきた。これに対し、みきは、「心勇講はようつとめてくれた、ごくろうやったなぁ」と云われ、「弱っていない証拠を見せる」として、伊八郎の甲の手の皮をつねって見せ、次のように宣べられた。
と、お諭しされた。こうして、教祖は不退転の「ひながた」をお示しなられ、引き続きお仕込みと指図を為されていた。この時の教祖のみ言葉が、「山田伊八郎文書」で次のように伝えられている。
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| この件は、史実教理であるから特段のことはない。 | ||||||||||||||
| みきへの切り口上は、残念はらしに直結します。 五つ理を吹く。 明治19年(1886)の五つ理を吹くは、明治24年。日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)である濃尾地震。(濃尾平野北部で発生したマグニチュード(M)8.0の巨大地震)。これが、残念はらしそのものです。 甚大な被害 地震による被害は、死者7,273人、全壊家屋142,177戸に上ります。阪神・淡路大震災の死者・行方不明者6,437人、全壊家屋104,906棟を上回る被害です。当時の日本の人口は4千万人程度ですから、人口比を考慮すると阪神・淡路大震災よりも遥かに大きな被害で、関連死・行方不明者を含め2万人強の犠牲者を出した2011年東日本大震災に匹敵します。被害は岐阜県と愛知県が顕著で、岐阜では焼失家屋が多数発生しました。内閣府の報告書によると、道路破裂20,067か所、橋梁損落10,392か所、堤防壊裂7,177か所、山崩れ10,224か所もの被害が発生しました。とくに、断層に沿った美濃で大きな被害になりました。岐阜県や福井県では、山々が崩れて多くの河川を堰き止め、天然ダムもできました。また、多くの堤防が損壊し、土砂流出も多かったことから、その後、木曽三川周辺は、水害や土砂災害に悩まされることになりました。地盤が軟弱な濃尾平野西部でも大きな被害が出ました。液状化は、濃尾平野に加え、静岡や、福井、大阪などでも、広範囲に発生しました。東日本大震災のときに震源から離れた東京湾岸で液状化被害が大きかったことを彷彿とさせます。 この地震では、名古屋郵便電信局や尾張紡績工場などのレンガ造の建築物が倒壊しました。レンガ造建物の被害は木造家屋に比べ微少でしたが、近代化の象徴だったレンガ造建築の被害は、当時の人々にとっては衝撃的だったようです。このため、多くの建築研究者が被害原因を分析し、「建築雑誌」の誌上で近代建築の耐震化の在り方を議論しました。また、被災地でのレンガ造建築の被害のショックは大きかったようで、震災後に作られた愛知県庁本庁舎は、当時には珍しく木造で建設されました。 |
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| 濃尾地震を「これが、残念はらしそのものです」として解析している。この件はSA氏の独壇場の解析である。教祖の「残念はらし」を天災地変に求めてパズル嵌めしているようだが、随分矮小諭しにしている気がする。カニは己の姿に似せて穴を掘るので、この御仁に説教しても通じまい。 | ||||||||||||||
| 五月五日にたしかでてくるのも、神に立腹であり、1886年の五月五日の数理は55年後で1941年。12月6日、昭和天皇はルーズベルト大統領の、「平和を志向し関係改善を目指す」との親電を送るを拒否します。12月20日太平洋戦争勃発であり、五月五日の理の事情は、天皇の好戦的態度、意思表明から、五つ理を吹くの5年で、1946年日本国憲法発令となり、天皇は神の地位を失います。 | ||||||||||||||
| この件もSA氏独壇場の「五月五日の五つ理を吹く」解析である。 | ||||||||||||||
| みきの天罰がどんなに恐ろしいか。れんだいこさんは知らないでしょうが、みきはあいまいに、人間でもあるかのように、羅列してきているのを改めないと、嘘を言うてきたようなものですから、天の返しを見ることになるでしょう。 | ||||||||||||||
| れんだいこさんは、実は、天理教会やってみようかを、実行しているようなものです。天理教団の誤りを指摘しているなかに、自分が真理だと、真理の語り部だと、思い込む残念があります。散華くださるを、期待します。 | ||||||||||||||
| 最終文で突如、「みきの天罰がどんなに恐ろしいか。れんだいこさんは知らないでしょうが」、(れんだいこのみき観は)「嘘を言うてきたようなものですから、天の返しを見ることになる」という。「嘘を言うてきたようなものですから」の論証はなく最後に「散華くださるを、期待します」となる。かく自分の云い得云い勝ちの断定で、れんだいこの散華を要請する。結局、この結論を言いたいだけの、それまでの話は前振りに過ぎないことが分かる酷い話になっている。 この御仁は、みき教祖を一途に信奉しているかのように論調しているが、みき教理をイエスキリスト教との絡みで解釈したり、みき言葉を脅迫報復的に卑大させて恣意的に活用しているだけの、みき教理の本筋とかなりずれた論を披歴している。この御仁は恐らくユダヤ-キリスト教圏の教理が本籍にある天理教部外者であり、そういう者の煽り文であることが透けて見えてくる。こういう者に散華を云われとうはないが、意図するところがあって余計に云うのだろうくわばらくわばら。道の識者から諭されるのは一向に構わないが、道のまがい者より頓珍漢問答されるのは本スカン。 2024.3.7日 れんだいこ拝 |
| 【A氏のれんだいこ教理批判考その1】 | ||
| SA氏が続いて、2026.9.16日、「Aは、 れんだいこ教理を批判しておく」をサイトアップしている。 | ||
れんだいこの返答
A氏は返しとして次のように述べている。
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| A氏は、この返しで何を言いたいのか、分かりにくい。仮に「親の理が神」と言いたいのだろうか。しかし、それで「神の理」の説明が足りるとする論には与せない。 | ||
れんだいこの返答
SA氏は返しとして次のように述べている。
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| SA氏は、この返しでも何を言いたいのか、分かりにくい。「天理教の素人さんでは意味は分かるまい」との上から目線の物言いは教養が疑われよう。「みきの御命令」なる表記もウソ臭い。教祖みきは終始一貫「談じ合い」を重視したところに意義がある。教祖が「ご命令」を発したことがあるだろうか。契約とか命令なぞはユダヤ-キリスト系の神教理に特有のものなので、これに被れ過ぎているのではなかろうか。 | ||
SA氏は、次に、「病助けでは名だたる病助けの名人たちが平野楢臓・松村吉太郎らに追放された事件があります」の前振りで、以下次のように述べている。
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| SA氏が、明治37年の「不良教師事件」の被粛清者の理の子(孫弟子)であるということは分かりました。ちなみに、「四十、五十ははなたれ小僧」は「五十六十洟(はな)垂れ小僧、七十八十働き盛り」(口伝)と習っています。 | ||
れんだいこの返答
A氏は返しとして次のように述べている。
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| 返しになっていない。 |
| 【A氏のれんだいこ教理批判考その2】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016.9.16日、「Aは、 れんだいこ教理を批判しておく。Aは天理教学生会を教団組織に正式に組み入れた」で、SA氏は、れんだいこの次の一文を転載している。
SA氏は、れんだいこのこの返答に対し、「病助けに効能あるが、それが道のまがいものでないとみきさまお認めの証拠である。以下をご一読あるを願う」と前ぶりして、次のように述べている。
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| 【SA氏の素性考】 | ||
2026.9.17日付けブログ 「れんだいこさん Aは天理教の教育者と親交を重ねている まがい物ではない」に応答しておく。
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| SA氏の素性について、SA氏は教外者ではなく、お道の篤実な実践者であるとの要旨は承った。SA氏が、統一教会の天理大学宗教学科入学、本部員子弟など20名ほどの誘惑に対して「統一教会と単身戦った」奮闘履歴がある云々の件では好意的に受け止めておく。但し、申すべきことは言っておかねばならない。 「その上を行くみきの教理を悟れない れんだいこ」をものしたのはSA氏と認識している。この認識に間違いなければ、題号からして、SA氏はかなり不作法な御仁であろう。かなり高慢埃を被っているやに見受けられる。 そのSA氏はさらに「れんだいこさんは、実は、天理教会やってみようかを、実行しているようなものです。天理教団の誤りを指摘しているなかに、自分が真理だと、真理の語り部だと、思い込む残念があります」と述べている。自分の思い込みの強さを差し置いて、最後に「散華くださるを、期待します」とまで言う。こういう物言いをする者が、教祖直列の信徒として自他ともに好評されるべきだろうか。 SA氏が、教内にそういう箔があることは分かったが、そういう人物であれば何を言い為そうとお咎めなしとは行くまい。れんだいこの感覚としては、人格的に粗暴であって、教祖みきのひながたとはかなりズレている。教理的にも既にかなりネオシオニズムテキストに親交していることが分かる。そこで仕込まれた教理とみき教理とを渾然一体化させてSA教理化しているように受け止めている。既に分派の域にあり、呪詛天罰教として押し出せば信奉者も出るかもしれない。 そういうSA教理観で、己の説に馴染まぬ者に暴言するのは、天理教人としてのみならず社会人としての素養を欠いているのではなかろうか。SA教理で広範囲の時事問題を解析しているが、宗教的な言及としてはとにかくも、政治論的見立てではネオシオニズム論を欠く硬直的なものになっている。自然災害も人工災害も政治災害も皆な親神の仕掛けによる手の内のものとする論法は危ない危ういものでしかない。 れんだいこは、れんだいこ教理を確立しつつあり、「不良教師事件」についても「不良教師」の方にシンパシ-を寄せている。してみれば、「不良教師の理の子(孫弟子)」を自認するSA氏とは近い間柄になる。そういう間柄のれんだいこに対して、何を血迷ったかれんだいこをかく誹謗し、平然と「散華を期待する」のは如何なものだろうか。常識的に不作法で、度が過ぎていよう。みき教理精通の第一人者を自覚しているようなので、余計にはしたないと思う。 れんだいこに言わせれば、SA氏のような人は近親憎悪癖者になる。SA氏はこの癖を直せるものなら直さねばなるまい。でないと、人が近寄れなくなろう。それは本意ではないだろう。小生は、近親憎悪癖を戒めるのは、あらゆる運動体に言えることと教訓化しているところでござる。このことが分からないうちは若い、即ち成人していないことになる。 本ブログ者は、SA氏を認め、れんだいこを認めている風があり、それ故に悶着を心配して本ブログを発信していると思われる。こういう場合の仲裁は両者をたしなめることではない。のべつくまなくの喧嘩両成敗は事態を何ら良い方に解決しない。仲裁者が為すべきことは、経緯を確認した上で、先に手を出した方をたしなめるべきである。中山みきの在野研究者を自認しつつ精進を続けているれんだいこに対し、「みき教理を悟れないれんだいこ」と誹謗し、「散華を期待する」とまで言う感性を叱ることである。手前がそう言われ、されて嫌なことを人にするなかれが社会人の第一歩であろう。 SA氏はれんだいこに比すれば恐らく若い方であろう、と思っていたが何と1歳上の1949年生まれらしい。同じ時代の空気を吸って今日まで生きてきたことになる。そして共に天理教教祖みきに列なるご縁を持つ。本来なら弥栄めでたいと称え合う間柄ではなかろうか。 ここ数日、SA氏のブログを読ませてもらったが、取り込ませてもらいたい箇所が何カ所もあった。それこそお道の助け合い精神を発揮してお互いに吸収し合う良かれの学びの道があるのではなかろうか。SA氏は純宗教的にみき教理を究めんとしておられるように思う。拙者はむしろ思想的にみき教理を究めんとしていると自覚している。この路線の違いが、SA氏の不興を生んでいるように思うが、SA氏の弁えが望まれているのではなかろうか。 拙者もSA氏も年齢的にここら辺りが最後の羽ばたきで、夕日の輝き刻を迎えているのではなかろうか。晩節を汚すまい。こたびは埃を被ったと自覚して、きれいさっぱり出直しするのが良かろう。こちらは何とも思うていない。ショートメッセージで述べたが、圧倒的無評のなかでれんだいこを正面から俎上に乗せた功績の方が大きいと受け止めている。 |
(私論.私見)