教祖の諭し話し逸話1、教理諭し

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年11.21日

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 (「教祖の諭し話し逸話1 - れんだいこブログ」)

 2003.8.29日 れんだいこ拝



教理諭し

【教祖の諭し話し考】
 教祖の諭し話は非常に有益であった。「今日はどのようなお話しを聞かせていただけるのだろうか」、「一刻も早く教祖にお目にかかりたい」と、知らずと足がお屋敷へ向かった。こうして連日連夜、教祖を囲む集いが持たれた。「今夜もまた、ええ話をしていただいた」とその余韻を噛み締めながら家路に向かった、と伝えられている。

 「正文遺韻抄」は、140、141Pで、教祖の次のように御言葉を伝えている。
 「一つには、四十代や五十代の女では、夜や夜中に男を引きよせて、話しをきかすことはできんが、もう八十過ぎた年よりなら誰も疑う者もあるまい。また、どういう話も聞かせられる。仕込まれる。そこで神さんはな、年の寄るのを、えらう、お待ちかねで御座ったのやで」。
 「八十過ぎた年よりで、それも女の身そらであれば、どこに力のある筈がないと、だれも思ふやろう。ここで力をあらはしたら、神の力としか思はれやうまい。よって、力だめしをして見せよとおっしゃる」。

 本部の「稿本天理教教祖伝」が教祖の実像を描き出していない事情に鑑み、教祖の諭し話しで補足していくことはかなり重要であると考える。そういう意味で、「天理教教祖逸話遍」(「おやさま逸話編(抜粋)」)(「天理教教祖伝逸話篇<目次 1-100>」)(「教祖逸話篇」)、「生きる言葉」(道友社、1995.10.1日初版)その他は貴重な資料の提供となっている。「天理と刻限」の「教祖直々の諭し」も大いに参考になる。こういう類の発掘と資料化、公開化、整備化が望まれている。

 しかし、流布されている教祖のお言葉は無条件では受け入れがたい。お話しを聞かされたその受け手の成人度により他意はなくても恣意的に歪み伝えられている可能性がある。そういう意味で、教祖の真意と実際のお言葉を引き出すことが必要になる。が、教祖の真実のお言葉に迫ることが難しい。且つ、まだまだ未公開のお言葉があり、今は小出しにされている段階のように思われる。一挙公開を望みたい。

 ここに書きつけるのは、現時点に於けるれんだいこフィルターにより透過された教祖像である。まず、教祖の直々のお言葉と思われる者を取捨選択した。教祖のお言葉として疑念が残る文句は割愛した。れんだいこが伝えるに足ると思われるお言葉を選択した。教祖の似たようなお言葉を一括して大過のない形で編集し直した。実際にそのように述べた訳ではないが、細切れの言葉をそのままに理解するよりも却って教祖のお言葉の真意に近いのではないかと思っている。参考にしていただければ幸いである。

 2003.8.29日、2006.7.1日再編集 れんだいこ拝


【神とは】
 明治18.3.28日、山田伊八郎が承って記した教祖のお話の覚え書き。
 「神というて、どこに神がいると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又内外の隔てなし。と言うは、世界一列の人間は皆な神の子や。何事も我が子のこと思うてみよ。ただ可愛い一杯のこと。百姓は、作り物豊作を願うてそれ故に、神が色々に思うことなり。又人間の胸の内さい受け取りたなら、いつまでなりと踏ん張りきる」。
 
 「神と云うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又、内外の隔てなし。水と神とは一の神。風よりほかに神はなし」。
 「さあさあ実があれはば実があるで。実といえば知ろまい。真実というは火、水、風」。
 「この世界中に、何にても、神のせん事、構わんことは更になし」。
 「水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」。
 「何を聞いても、さあ月日のお働きや、と思うよう」。
 「この世の台は天が台。天の芯は月日なり。月日がありてこの世界あり」。
 「神と云うはあると云えばある、ないと云えばない。成って来る理が神や」。
 「天理教教祖中山みきの口伝等紹介」の「東西の長さは(その二)」を転載する。
 東西の長さは(その二)
 「このお話は、三話とも、昭和九年十一月であったか、御本部で、甘露台座談会があった折、高井直吉先生がお話になった話しである。あの時の座談会は、二代真柱が中心になり、山沢為造、松村吉太郎の諸先生をはじめ、たくさんの本部員先生、史料集成部の先生方も出席になっていた。私らは道友社の記者として、筆記役として、末席に拝聴さしてもらった。記事は、昭和十年一月の『みちのとも』に掲載されている。だが掲載されない話しの中に、いろいろの話しがあった。ここに掲げた三話とも、そのときの話しである。
 時は明治十五、六年の頃のことかと思う。あの当時、教祖は、何でもよいから聞いておけ、とおっしゃったそうだ。それで信者たちは何でもお尋ねしたという。そんなときに、風変わりの信者たちがいて、教祖があまりにも簡単にお答えになるので、難問を出してやれという気分になって、難問を考えたらしい。そして自分たちがお尋ねにゆかないで、当時お屋敷につとめていて、信者たちの世話をしていた高井直吉先生に、お尋ねに上らしたものらしい。三島村のある家には、そんな信者たちが集っていたという。まず東西の長さ、次いで天地の広さ、それに対する教祖のお答えはまことに明快である。それで第三番目の質問となった。この世を創ったものはどなたかと質問せよ、教祖はそれは神さまよとお答えになるだろう、そうしたらその神さまを誰がおつくりになったのかお尋ねせよということになったのだという。それを高井先生から聞いていた先生方が言った。『あんた、それを聞きに行ったのか』。『そうや、皆んなが聞きにゆけというんや』。『教祖にお尋ねしたら、教祖どうおっしゃしった』。教祖は、『それ、あんたが聞くのか』とおっしゃった。怖かった。それで、『いいえ、皆なが聞いて来い言いますのでお尋ねに上りました』。そうしたら教祖は、『そこまで聞くのはあほやで』とおっしゃった。そこで、先生方も、『そらあ、そこまで聞くのはあほや』と言われた。今も、あの座談会当時の雰囲気は目の前に浮かぶ。そして、教祖の前でお話しを聞いておられた高井直吉先生の姿が想像される。また教祖御存命当時の、教祖と信者の姿が想像されるのである。その後、段々とこのお話しを味わっている間に、教祖は、信者に『あほや』とはおっしゃらなかったはずだと思うようになった。『あほや』と言ったのは、信者たちの方なのだ。そうしたら、教祖はどうおっしゃったのであろうかと考えた。そして出て来たのが、『そこまで聞かんでも良いのやで』というお言葉だ。教祖のお言葉はそうでなかったかと思う。間違っていたら、いつでも訂正さしてもらう。ここでは一応私の思うままに書かしてもらった」。

 「教祖 おおせには」高野友治著(天理時報社8-9p、昭和六十年四月発行 )

【世界の広さ】
 ある信者が、「わたしどもの住んでいるこの世界というものは、随分広いと思われますが、一体どのくらい広いものでせうか」と尋ねたところ、教祖は両手を広げて、「この世界は広いで。丁度人間が両手両足を広げたくらいの広さがあるのやで」と答えた。両手両足を広げたくらいでは大したことないのでポカンとしていると、続いて次のようにお話しされた。
 「この世界の真ん中には熱気がある。我々人間の体内にもぬくみがあるやろ。同じことや。世界の支えとなっている岩石は、人間の体で云えば骨やで。これも同じ理や。世界で岩石をおおっている土は、人間では骨を包んでいる肉と同じや。世界の表面に生えている草木は、人体で云えば毛髪のようなもの。世界に通うている水脈は、人間でいえば血管が丁度それに当たる。人間も息をして生きているが、世界の潮の満干は月日の呼吸やで」。

 「教祖口伝<明治12年7月5日、村田に対する教祖直々のお諭し>」。この神様はどういう神様でございますかと尋ねられたところ、
 「この神様はなあ、元の神と言い、実の神様やで。元の神様とは、拝み祈祷の神やない。元こしらえた神というて、元々何にもなかったところから人間をはじめすべてのものを創り初められた神様や。実の神というのはなあ、真実の神ということやで。すべてをお創りになったというだけでなく、それ以来、つねに変わらず、ふしぎなお働きによって、あらゆるものを育て、温かい恵みをもって御守護下される神様や。人間をお創り下された思し召し通りに通らせて頂くことができるようにと、直々にこの世へお姿を現された真の神やで。神様は人間を創り、その人間が陽気暮らしをするのを見て、共に楽しもうと思し召され、人間世界をお初めなされたのや。だから人間は日々通らせて頂くのに、神様に喜んで頂けるような日々を通らにゃいかんで。神様に喜んでもらえるような日々とはなあ、まず借りものということをよく心に治めることや。心に治めるというは、神様から身上を貸して頂いているということをよく心に治めることや。そうして真実の心にならせてもろうて、親の心に添うて務めるのや。これが一番神様に喜んでもらえる道やで。この心で日々通らせてもらいなはれや。神様にどんなにお礼させてもろうても、これでいいということはないで。日々の御恩は日々にさせてもらわにゃいかん。日々にさせて頂くことが、日々結構に通らせて頂ける道になるのや。身上でも事情でも御守護頂ける道は只一つや。借りものという理、心に治めてしっかり通りなはれや」 。

【諭し悟りの道】
 教祖は、「お道教義」の特徴につき「諭し悟りの道」として、次のように仰せられている。
 「この道は諭し悟りの道」。
 「独り先に立って後々(あとあと)育てるのが道」。
 「どうせこうせ、これは云わん。これは云えん」。
 「望みは大きく持て。大きいものが半分できても大きい。小さいことは皆できても小さい」。
 「75年経ったらにほんあらあら、それから世界隅から隅まで」。
 「身を捨ててもという心なら神が働く」。
 「何でもという心なくば何にもできるものやない」。

【お道の教えとは既成学問にない本当の教えや】
 教祖は、「お道教義」の特徴につき「既成学問に無い本当の教えや」として、次のように仰せられている。
 「学問にない、古い九億九万六千年間のこと、世界へ教えたい。習いにやるのでもなければ、教えに来て貰うのでもないで。この屋敷から教え出すものばかりや。世界から教えてもらうものは何もない。この屋敷から教え出すので、理があるのや」。

(私論.私見)


【天然自然の道、本元の教え】
 教祖は、「お道教義」の特徴につき「天然自然の道、本元の教え」として、次のように仰せられている。
 「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や」。
 「あっちたこっちとえらい遠回りをしておいでたんやなあ。ここへおいでたら、みんなおいでになるのに。世間に神を祀る場所は数々あるが、それらは手に例えれば指一本ずつの如きもの。ここは両手両指揃いたる如きもの」。
 「社(やしろ)にても寺にても、参るところ、手に例えれば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり」。
 「産土(うぶすな)の神に参るは、恩に報ずる道である。何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え」。
(私論.私見)

【世界中一列は神の子、兄弟姉妹(きょうだい)や】
 「(神の目には)世界一列皆我が子、世界中一列は皆兄弟。天皇も人間、我々百姓も同じ魂」。
 「世界一列の人間は、皆神の子や。何事も、我が子のこと思うてみよ。ただせ可愛い一杯のこと。親は、何にも小さい子供を苦しめたいことはないねで。この神様は、可愛い子供の苦しむのを見てお喜びなるのやないねで。子供の楽しむのを見てこそ、神は喜ぶのや」。
 「親神にとっては世界中は皆我が子。世界中一列は皆兄弟姉妹(きょうだい)や。他人というは更に無い。一列を一人も余さず助けたいのや」。

【元の屋敷の理】
 明治18、9年頃のことと言い伝えられている。大和国笠間村の大浦伝七妻なかは、急に人差指に激しい痛みを感じ、その痛みがなかなか治まらないので、近所の加見兵四郎に願うてもろうたところ、痛みは止まった。が、しばらくすると、又痛み出し、お願いしてもらうと、止まった。こういう事を、三、四度も繰り返した後、加見が、「おぢばへ帰って、教祖にお願い致しましょう。」と言うたので、同道して、お屋敷へ帰り、教祖にお目通りして、お願いしたところ、教祖は、その指に三度息をおかけ下された。すると、激しい痛みは、即座に止まった。この鮮やかな御守護に、なかは、「不思議な神様やなあ。」と心から感激した。(「天理教教祖伝逸話編」182)

 その時、教祖は次のようにお聞かせ下された。
 「ここは、人間はじめ出したる元の屋敷である。先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや」。 

 他にも、次のようなお言葉が遺されている。
 「今に、ここら辺り一面に、家が建て込むのやで。この屋敷は、先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで」。
 「ここは、人間はじめだしたるもとの屋敷である。このり屋敷はな、神一条の話しよりほかには何も要らんと、神様が仰せになりますで」。
 「よう帰って来たな。待っていたで。この屋敷は、人間始め出した屋敷やで。生まれ故郷や。どんな病でも助からんことはない」。
 「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人も帰されん」。

【おじばの理】
 「おじばは、泣くところやないで。ここは喜ぶところや」。
 「ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方に根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れてもニ方残る。残ったところに太い芽が出る」。

 一八七 ぢば一つに

 明治十九年六月、諸井国三郎は、四女秀が三才で出直した時、余り悲しかったので、おぢばへ帰って、「何か違いの点があるかも知れませんから、知らして頂きたい。」とお願いしたところ、教祖は、「さあ/\小児のところ、三才も一生、一生三才の心。ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで」と、お言葉を下された。
 一九一 よう、はるばる

 但馬国田ノ口村の田川寅吉は、明治十九年五月五日、村内二十六戸の人々と共に講を結び、推されてその講元となった。時に十七才であった。これが、天地組七番(註、後に九番と改む)の初まりである。明治十九年八月二十九日、田川講元外八名は、おぢば帰りのため村を出発、九月一日大阪に着いた。が、その夜、田川は宿舎で、激しい腹痛におそわれ、上げ下だし甚だしく、夜通し苦しんだ。時あたかも、大阪ではコレラ流行の最中である。一同の驚きと心配は一通りではなく、お願い勤めをし、夜を徹して全快を祈った。かくて、夜明け近くなって、ようやく回復に向かった。そこで、二日未明出発。病躯を押して一行と共に、十三峠を越え竜田へ出て、庄屋敷村に到着。中山重吉宅に宿泊した。その夜、お屋敷から来た辻忠作、山本利三郎の両名からお話を聞かせてもらい、田川は、辻忠作からおさづけを取次いでもらうと、その夜から、身上の悩みはすっきり御守護頂いた。翌三日、一行は、元なるぢばに詣り、次いで、つとめ場所に上がって礼拝し、案内されるままに、御休息所に到り、教祖にお目通りさせて頂いた。教祖は、赤衣を召して端座して居られた。一同に対し、 「よう、はるばる帰って下された。」と、勿体ないお言葉を下された。感涙にむせんだ田川は、その感激を生涯忘れず、一生懸命たすけ一条の道に努め励んだのである。

【伏せこみ】
 「案じることはない。この屋敷に生涯伏せこむなら必ず助かるのや」。
 「この屋敷に住まっている者は、兄弟の中の兄弟やで」。
 「この屋敷には、働く手は幾らでも欲しい。働かん手は一人も要らん」。
 「良いもの食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」。

【つとめ】
 「このつとめで命の切り替えするのや。大切なつとめやで」。

【神の理を立てよ】
 明治13年秋の頃、教祖は、つとめをすることを、大層厳しくお急き込み下された。警察の見張り、干渉の激しい時であったから、人々が躊躇していると、教祖は刻限を以て次のように厳しくお急き込み下された。 
 「人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を立てるか。これ、二つ一つの返答をせよ」。

 そこで、皆々相談の上、「心を定めておつとめをさしてもらおう。」ということになった。 ところが、おつとめの手は、めいめいに稽古も出来ていたが、かぐらづとめの人衆は、未だ誰彼と言うて定まってはいなかったので、これもお決め頂いて、勤めさせて頂くことになった。また、女鳴物は、三味線は飯降よしえ、胡弓は上田ナライト、琴は辻とめぎくの三人が、教祖から長ダメ頂いていたが、男鳴物の方は、未だ手合わせも稽古も出来ていないし、俄のことであるから、どうしたら宜しきやと、種々相談もしたが、人間の心で勝手に出来ないという上から、教祖にこの旨をお伺い申し上げた。すると、教祖は次のように仰せられた。
 「さあさあ、鳴物々々という。今のところは、一が、二になり、二が三になっても、神が許す。皆、勤める者の心の調子を神が受け取るねで。これよう聞き分け」。

 皆、安心して勇んで勤めた。場所は、つとめ場所の北の上段の間の、南に続く八畳の間であった。

【鳴り物】
 おつとめの九つの鳴り物をつとめるに当ってのお言葉。
 「皆、勤める者の心の調子を神が受け取るねで」。
 「どうでも、道具は揃えにゃあかんで。稽古できていなければ、道具の前に座って、心で弾(ひ)け。その心を受け取る」。

【手踊り】
 
 「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや」。

【日々の運び】
 貧のどん底時代のこと、山中忠七は白米一升を提げてお屋敷へ参るようになったが、いっそのこと五斗俵でもお供えさせてもらえばと思い立ち教祖に伺った。教祖は次のように宣べられた。
 「毎日毎日、こうして運んでくれるのが結構やで」

 忠七は大いに悟るところがあった、と伝えられている。

【ひのきしん(日の寄進)】

【真心のお供え】
 中山家が谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮れに、一人の信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目にかけた。すると、教祖は、いつになく、「ああ、そうかえ」と仰せられただけで、一向御満足の様子はなかった。

 それから2、3日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗末な風呂敷包みを出して、「これを、教祖にお上げして頂きとうございます。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡餅が入っていた。例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、「直ぐに、親神様お供えしておくれ」と非常に御満足の体であらせられた。 これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、正月の餅をついて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言うて持参したのであった。

 後の人は、貧しい家の人であったが、やっとのことで正月の餅をつくことが出来たので、「これも、親神様のお陰だ。何は措いてもお初を」というので、そのつき立てのところを取って、持って来たのであった。教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになっていたのである。 こういう例は沢山あって、その後、多くの信者の人々が時々の珍しいものを、教祖に召し上がって頂きたい、と言うて持って詣るようになったが、教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。そして、中に高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にすすめられて、たといそれをお召し上がりになっても、「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない」と、仰せられた。

【待つ理】
 「まつりというのは、待つ理であるから、二十六日の日は、朝から他の用は何もするのやないで。この日は、結構や結構やと、親様の御恩を喜ばしていただいておれば良いのや」。

 「教祖口伝<◆明治10年11月28日、側な者に対する教祖直々のお諭し>」。
 「つくすというは、金や物をつくすだけを言うのやない。身上かして頂いているというご恩を報じる心が、つくしというて果たしになるのやで。かりものという理わからねば、つくしようがあるまい。人間心にとらわれぬようお話をさせてもらうのやで。定めさすというても、自分の心に浮かんだ事を浮かばしてもろうたと思うてお話をすることがいかんのや。定めさすことは、かりものということより他に何もないのやから、よくわかるように話してやってくれ。かりものというは、神様から身体を貸して頂いているということなのやから、この理をよう思案させてもらうのやで。かりものというは、身上を貸して頂いているのやから、よく悟らして頂いて、日々を通らしてもらうのやで。かりものという事がよくわかれば、どんな病でもすぐに御守護下さるのやから、お助けには、かりものという事、神様から身体を貸してもらっているという理を、人間思案に囚われず、只々ありがたい結構やと思うてお話をさせてもらいなはれや」。
 「教祖口伝<◆明治10年11月28日、枡井、村田、辻に対する教祖直々のお諭し>」。
 「日々通るには、真実の心になって、かりものという理しっかり心に治めて、親の心に添ってつとめさせて頂くのやで。その心になって通れたら自由用の守護が頂けるのや。真実とは弱いもののように思うけれど、真実ほど強いものはないで。人が人を動かすことむずかしい、なれど真実なら神がうごかすで。人を助けるのも真実、その真実には神がはたらくのや。人が人を助けるのはむずかしい。なれど真実なれば神が助けさす。真実の心とは、ひくい、やさしい、すなおな心を言うのやで。口でなんぼひくい、やさしい、すなおな心と言うても、その心にならなけりゃ何にもならんで。日々通っている中に、我が身はまことやまことやと思うて通っていても、まことの中のほこりという道もあるで。よう思案して通らしてもらうのやで。日々真実の心で通らしてもらえたなら、家々むつまじゅう暮らさせて頂くことが出来るのやで。めいめい我が身一人がその心にならせてもらいなはれ。なんぼ真実や真実やと言うて通っていても、心に真実なくば何にもならん。目にも見えん、形にも現れんもの、心にその理なくば何にもならん。人の心にある真実は神が受け取って下さるのやで」。
 「ひくい、やさしい、素直な心、いくら自分がその心やと言うても、人に与えなけりゃわからん。人に与えるというは、人に喜んでもらう、人に助かってもらう道を通ることやで。この心で日々通れたら、どんな中でも連れて通るほどに。人間はあざないものであるから、日々その心で通らしてもらわにゃいかんと思いながらも、身びいき、身勝手な心遣いから、我が身さえ、我が身さえと思い、我が身さえよければ人はどうなってもというような日々を通ってしまう。それでは守護頂けるはずはないで。我が身どうなってもという心にならなけりゃ真実の心は生まれてこんのや。案じ心を捨てて、人の喜ぶよう、人の助かるような道を通りなはれや。人助けたら我が身助けてもらうこと出来るのやで。人間はなあ、みんな神様からからだを借りているのやで。それを自分のもののような心で日々使うて通っている。それでは申し訳ないのやで。自分のものと思うて使うて通るから、頂ける守護も頂けなくなるのやで。この理よう思案してくれ。かりものという理は、日々通らせて頂いている心の中に、常にもたせてもろうていなけりゃならんのやで」
 「日々通る身上についての心の持ち方はなあ、人間は、いやなものを見ると、すぐにいややなあと思い、いやな事を聞くと、すぐにいややなあと思う。その心がいかんのやで。その時の心の使い方が大切なのやで。いやなものを見、いやなものを見せられた時、いややなあと思う前に、ああ見えてよかった、目が不自由でのうてよかった、ありがたい結構やと思うて通らしてもらうのやで。いやなこと聞いた時でも同じこと、何時の日、何時の時でもそういう心で通りなはれや。その心遣いが自由の守護が頂ける道になるのやで、むずかしいことないで。身上事情で悩み苦しむ時、かりものということをすぐ心に思わにゃいかんで。かりものという理が心に治まれば、どんな中でも助けて下さるのやで。かりものというは、常に借りているということ忘れずに、一日一日をありがたい、結構やと思うて通らせてもらうのや。その心やったら、どんな危ない中も、大難は小難、小難は無難に連れて通って下さるで。身上の中でも事情の中でも、かりものという理一つ心に治まれば、ない寿命もつないで下さるで。人間の力でどうにもならんもんでも治めて下さる守護が頂けるのやで。かりものという理しっかり心に治めて日々通ってくれ。心に治まれば、どんな道でも案じない、案じ心もたぬよう。親の心に添わしてもらうには、我が身思案を捨てにゃいかんで。我が身どうなってもという心で親に添い切るのや。我が身思案から、ああもこうもと心を使う。人間心で聞いて、あれやこれやと思案する。なんぼ聞いても同じことやで。そんな心やったら、親の心に添うこと出来ん。親の声聞いたら、そのまま受ける心に神がはたらくのや。親の声聞いて、頼りないと思うたら、頼りなくなる。親の声も神の声も同じことやで。案じなきよう、神が連れて通るほどに」。
 「教祖口伝<◆明治14年2月7~8日  辻、村田、山沢に対する教祖直々のお諭し>」。

 「日々通らしてもろうていても、いろいろ人の通る道はある。その中で神様によろこんでもらう道を通るのやで。神様によろこんでもらう道は真実だけや。真実というても、自分だけが真実やと思うていても何にもならん。真実とは、ひくい、やさしい、すなおな心をいうのや。自分でひくいと思うているうちはひくくはないで。やさしいというても、すなおというても同じこと、人にあの人は真実の人やといわれるまでの道を通るのやで。素直というてもなあ、人の心をひくような素直は何にもならん。神様によろこんでもらえるような素直というは、親の言うなりするなりにしてもらう心にならなけりゃいかんで。やさしいというても、口だけでは何にもならん。ハイと言うたらすぐ行ってこそやさしいのやで。そうして何でもつとめさしてもらう心をひくいと言うのやから、その心で日々通らにゃいかんで。口だけの真実やったら神様はなあ、よろこんで下さらんのやで。神様のお話をよく聞かしてもらうのやで。神様のお話とは親の声や。親の声というていい加減に聞いていてはならん。しっかり心に治めなはれや」。

 「真実の心というても、昨日も話をしておったのや、まるごとでなきゃいかんで。まるごととは全部や。一切を引き受けさせて頂きますという心や。庭の掃除一つさせて頂くのも自分我が身一人ひとりがさせてもらうのや。多数の人でやったら自分の徳にはならんで。だがなあ、徳を積ましてもらうという心はいかん。これは我が身のためやからなあ。何でも人のため、我が心は人のよろこぶよう、人のたすかるような道を通ればよいのやで。我が身のことは何にも考えんでもよいのや。これがまるごとの真実やで。人に腹を立てさせて下さるな。親の心に添うと言うても、形だけやったらいかん、心を添わして頂くのやで。どんなに離れていても、心は親に通じるものやで。心を添わしてもらいなはれや。親々の心に添わしてもろうて日々通っていたら、身上事情で苦しむような事はないで。だが、いんねんなら通らにゃならん道もあろう。しかし親の心に添って通らしてもろうているのなら、何にも身上や事情やというて案じる事はないで。心倒さんように通りなはれや」。

 「この世に病いというはさらにない。心のほこりだけや。心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や。人間思案で通るから倒れるのや。人間思案出すやない。人間思案捨てるには親の声だけがたよりやで。親の声を何でも素直に聞かしてもらわにゃいかんで。かりものという理知らずして、日々通っていると身上にお知らせ頂いても、なかなか御守護頂けないで。親の心に添うこと出来んかったら、どんな事で苦しい道を通らにゃならんかも知れん。そんな道通っているなら、何も神様のお話はいらん。神様のお話は、かりものということをよく分からして頂くために聞かして頂くのや。親の心に添わして頂くために聞かしてもらう話やで。お話を聞かしてもらっておきながら、勝手な道を歩むようであったなら、御守護やりとうてもやれへんやないか。ここのところ、よう思案してくれ。神様のお話を聞かしてもろうているのやから、日々を喜び勇んで、かりものという理をしっかり心に治めて、親の声をしっかり聞かしてもらい、親の言う通りにさせてもろうたら、どんな御守護もお与え下さるで。いらんと言うてもきっと下さるのやから、御守護頂けんと言うていたら申し訳ないことやで。親の言う通りせんで御守護頂けないと言うて日々通っている、そんなことで人に喜んでもらう、人にたすかってもらう道が通れるか、よう思案してみい。申し訳ないと思うたら、すぐに心入れ替えてつとめなはれや、御守護下さるで」。






(私論.私見)