| 1895年 | 明治28年 | 神道応法派と教祖派が紛糾 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.17日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「神道応法派と教祖派が紛糾」を確認しておく。「別章【明治28年お指図】」。「神一條(神一条) 資料2 」。 2007.11.30日 れんだいこ拝 |
| 【分教会が各地に建設されるその6】 |
| 27年*月、桜井支教会(大和、富松楢次郎)、琵琶布教事務所(近江、石塚松治郎)、旭日支教会(大和、岡本善六)。 |
2月、松村吉太郎が、内務省社寺局の呼び出しで東京へ向う。
| 【お指図】 | |
3.6日、お指図。
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| 【お指図】 | ||
3.9日、お指図。「松村吉太郎の伺い」。
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| 【お指図】 | |
3.10日、お指図。「教祖御霊殿本部北寄りで六間に八間の建物建築致し度きにより願……続いて願い」。
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| 【お指図】 |
| 3.10日、教祖御霊殿建築願いが出される。本席は、「足伸ばすぢばをつくれ」と指図し、却下する。その意は、「5年祭の時には農家を借りて納屋に藁を敷いて寝たではないか、その信者達が不自由しないように、足を伸ばして居られるように、教理をゆっくり学べるように、信者の詰所を造れ」というところにあった。これにより詰所建設が始まることになった。 |
| 【お指図】 | ||
3.18日、お指図。
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| 【お指図】 | |
5.5日、お指図。
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| 【お指図】 | |
5.13日、お指図。
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| 【お指図】 | |||
5.22日、お指図。
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| 【お指図】 | |
6.4日、お指図。
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| 【お指図】 | ||
8.3日、お指図。
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| 【お指図】 | ||
8.19日、お指図。「藪の北方田地一町三反余買い入れる事御許し下さるや願い」。
「押して、買い入れは御許し下されますや」。
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| 【お指図】 | |
9.15日、お指図。
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| 【お指図】 | ||
10.11日、お指図。
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| 【お指図】 | |
10.14日、お指図。
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| 【中山もとの教祖の長女”おまさ”評】 | |
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| 【神道応法派と教祖派が紛糾】 |
| 11.13日、10年祭の直前のこの日、会議が開かれ、真之亮、平野樽蔵ら神道応法派が再度神社を造りたいと主張した。山本利三郎、上村吉三郎、中田かじら教祖派は、お指図を楯にこれに反対した。会議は紛糾し、休憩となったその時、突如として山本利三郎が亡くなった。 |
| 【お指図】 | |
11.13日、お指図。
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| 【お指図】 | |||
11.14日、教祖十年祭が近づくに当たり、改めて「教祖のご普請お許し願」が出され、これに対して、次の「お指図」が為されている。
(お許しになられなかった)。「教祖殿はひながたの学び舎である。建ち家もそのまま、便所もそのまま、風呂場もそのまま、それが狭いと云うなら、仕える者の詰所を造れ」との指図となった。教祖殿を神社式に大きく造り変えることを禁止した。 |
| 【山田伊八郎評】 | |
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| (道人の教勢、動勢) |
| 1.21日、上田嘉治郎が出直し(亨年66歳)。天保1年(1830)、大和国山辺郡園原村(現・奈良県天理市園原町)生まれ。明治9年(1876)、娘・ナライトの病をきっかけに入信。 |
| 11.24日、山本利三郎の死後10日目、上村吉三郎(敷島の初代会長)が出直し(亨年58歳)。 (詳解は「上村吉三郎」に記す) |
| この頃、中田かじ(仲田儀三郎の妻)も遺体で発見された。 |
| 中山おまさ。文政8年(1825)生まれ。教祖の長女。豊田村の福井治助に嫁ぐが、明治11年(1878)復籍、分家。1895(明治28)年、出直し(享年71歳)。 |
| この年2月、シナ、琉球布教が開始された。 |
| (当時の国内社会事情) |
| 1895(明治28).8.6日、台湾総督府条例制定される。第一回帝国議会。教育勅語の発布。 |
| (宗教界の動き) |
| 平安遷都1100年記念に平安神宮創建。祭神は桓武・孝明天皇。 |
| 府県社以下神職登用規則。日清戦争戦死者合祀招魂社臨時大祭。 |
| 内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりしか』。 |
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1895(明治29)年、教派神道連合会(略称「教派連」)が「神道同志会」として発足した。当初の加盟教団は出雲大社教、御嶽教、黒住教、實行教、神宮教、神習教、神道大成教、扶桑教。その後、1899(明治32)年に神道本局、神理教、禊教が加盟して名称を「神道懇話会」と変更。さらに1912(明治45)年、金光教、神道修成派、天理教が加盟して「神道各教派連合会」と改称した。1934(昭和9)年、名称を「教派神道連合会」と変更して今日に至っている。その間、加盟・退会・名称変更・解散する教団があり、現在では出雲大社教、大本、御嶽教、黒住教、金光教、實行教、神習教、神道修成派、神道大教、神理教、扶桑教、禊教が加盟している。目的は「神道教化の活発な展開を図り、道義に基づく、文化日本の建設に寄与して、世界平和の確立に貢献すること」(規約第4条より抜粋)で、2月、8月をのぞく毎月の定例理事会をもって活動を進めている。
また教派連に加盟している教団の若手リーダーが中心になって活動している「教派神道連合会青年会議」は、1990(平成2)年に「教派神道連合青年会議」として発足し、1996(平成8)年から現在の名称を冠している。その目的は、それぞれの教団の垣根を超えて次世代を担う人たちが交流することによって、教派連の目的を達成するための自己啓発、相互啓発をはかるところにある。この教派連青年会議が中心となって、1995(平成7)年には教派連結成100年の記念イベントが開催された。その年の5月、記念式典・祝賀会。同11月、記念シンポジウム「21世紀を担う神道」開催。その結果の一端は「教派神道連合会結成百周年記念誌『いのりとつどい』」に結実し、全国の主要図書館などに寄贈された。(「教派神道連合会」参照) |
| (当時の対外事情) |
| (当時の海外事情) |
(私論.私見)