| 中東西欧三宗考 |
(最新見直し2012.03.13日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「中東西欧三宗考」について記す。 2012.03.13日 れんだいこ拝 |
| 【中東西欧三宗考】 | |
| ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(マホメット教はイスラム教の別名、ムハンマドに由来)の相似と差異を確認しておく。 相似は、いずれも一神教で、唯一絶対の神を信仰し、創造、終末、最後の審判、復活といった共通の概念を持つ点で深く繋がっている。但し、預言者や神の解釈(特にイエスの位置づけ)で異なる。最も古いのがユダヤ教である。次に、キリスト教が派生し、次にイスラム教。 ユダヤ教は、最も古い一神教で、モーセが神から律法(トーラー)を授かったとされる。但し、ユダヤ教内は、モーセ律法を廻って、これの護持派、中間派、否定派の三派に分かれる。神とイスラエルの民との契約を重んじ、メシア(救世主)の到来を待ち望む。 キリスト教は、西暦紀元1世紀、イエスが開祖として開教した。イエスの御教えを廻って、これの護持派、中間派、否定派の三派に分かれる。「キリスト教はユダヤ教から生まれた(派生した)」と解説されているが、イエス自身は激しいユダヤ教否定派である。(仮にこれをイエス教とする)そのイエスの教説をユダヤ教理に合わせて変造したのがキリスト教である。キリスト教は、イエス教、ユダヤ教の教理に反して、イエス・キリストを神の子、救世主と唱える。イエスの生涯と教えを記した新約聖書とし、ユダヤ教の聖書を旧約聖書として聖典とする。 イスラム教(マホメット教)は、7世紀に預言者ムハンマドによって創始された。「アッラー(神)への絶対的な服従」を求め、クルアーン(コーラン)を聖典とし、イエスを重要な預言者の一人と認めつつ、ムハンマドを最後の預言者とする。イスラームという言葉はもともと「降伏」「服従」を意味し、アッラーフの意志への服従を意味する。 ムスリムは、天使ジブリール(ガブリエル)を通してクルアーンは神からムハンマドに啓示されたのだと信じている。 啓示はおよそ23年間かけて少しずつ行われ、西暦紀元609年12月22日に始まり、西暦紀元632年ムハンマドの死により終わった。 世界観:神による天地創造、世界の終末、死者の復活、最後の審判、天国・地獄といった概念が共通しています。ユダヤ教では、イエスをメシア(救世主)とは認めない。キリスト教はイエスを神であり、人間でもある神の子と信じ、救済の中心とする。イスラム教は、イエスを神の子とはせず、偉大な預言者の一人として尊敬するが、ムハンマドを最後の預言者と位置づけている。 |
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キリスト教、イスラム教、ユダヤ教はいずれも「アブラハムの宗教と呼ばれるが、イエス教は異なる。マルティン・ルター
キリスト教の教典である聖書は、旧約聖書と新約聖書からなる。 新約聖書はイエスの御教えをキリスト教的に編纂したキリスト教聖書である。イエス教であれば、これを唯一の聖書にすべきところ、イエス教をキリスト教的に編纂し新約聖書とした。同時にユダヤ教の聖書を習得すべしとして旧約聖書として取り込んだ。旧約聖書は、ユダヤ民族と神との歴史的関係を記録している。 |
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| 岩波書店「世界」2019年5月号 脳力のレッスン205 中東一神教の近親憎悪―イスラムVSキリスト教、ユダヤ教― 一七世紀オランダからの視界(その56)
メディナへの聖遷の意味―――ユダヤ教との決別
メッカでの布教を始めて約一〇年、「絶対神の下での平等」を訴えるムハンマドの活動は多神教徒をイスラムに改宗させ、貧者、奴隷にも訴え始めた。それはメッカの支配層との対立を引き起こした。多神教を掲げる守旧派にとっては、「最後の審判」といったユダヤ・キリスト教的教義を掲げるイスラムは秩序を破壊する危険な勢力と見られ、イスラム教徒を迫害する圧力が高まった、危険を察したムハンマドは六二二年、ムスリム勢力を引き連れてメディナに移住(ヒジュラ=聖遷)し、イスラム共同体を形成し始めた。この時を、カレン・アームストロングが「イスラムの誕生」と表現(「イスラームの歴史」、中公新書、2017年、原書2002年)するのも頷ける。イスラムとは個人の宗教というよりも、「ウンマ」といわれる共同体として意味を持つからである。
イスラムにおける聖俗一体―――「片手にコーラン、片手に剣」の意味
今日、中東のシリア・イラクの混乱に乗じ、突然「イスラム国」(ISIS)などが登場し、テロや殺戮を繰り返すと、「イスラムは暴力的」というイメージが形成されがちである。また、一九七九年のイランのイスラム原理主義革命において、ホメイニ師なる聖職者が、唐突に政治の最高指導者として登場するのを目撃すると、その聖俗一体の権力に違和感を覚えながら圧倒される。こうした構図が蘇るのがイスラムの特質であり、その淵源はイスラム共同体の長としてのムハンマドが聖職者であり政治的・軍事的指導者として、メッカに突撃したことにあることに気付く。 イスラムの教義は、神の意思の下での「平和と公正」を志向するもので、ウンマ(共同体)の平穏を求めるものだが、敵対するものには「片手にコーラン、片手に剣」で、妥協することなく「ジハード(聖戦)」を掲げて対峙する可能性があるということである。メッカ征服の二年後、六三二年にムハンマドは死を迎える。後継者を巡る展開がその後のイスラムに影を投げかける。初代カリフとなったアブー・バクルから四代アリーまでのカリフはムハンマドを直接取り巻いたことのある指導者で「正統カリフ」と呼ばれる存在であったが、それ以後の対立が今日のスンニ派とシーア派の対立の淵源となる。「カリフ」とはアラビア語で「代理者」「継承者」を意味するが、ムハンマドの代理者としてイスラムの保全政治を執行するという意味である。 |
(私論.私見)