北小路敏

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元、栄和3)年.8.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2011.01.24日 れんだいこ拝


【北小路敏同志追悼】

 週刊『前進』(2467号2面1)(2010/12/06 )

 不屈の情熱引き継ぎ革共同は世界革命勝利へ前進する北小路敏同志の逝去を悼む
 60年-70年安保闘争、非合法・非公然党建設と対カクマル戦争を指導した偉大な革命家
 革命的共産主義者同盟政治局

 (一)  
 北小路敏同志。あなたは多くの同志を残して、眠るがごとくに、闘いの人生の舞台から逝ってしまった。われわれは、北小路同志が常に全党の先頭で獅子吼(ししく)していた、あの姿、あの声をまざまざと思い出す。北小路同志を喪(うしな)ったその事実の大きさに、しばし我を忘れている。しかし革命運動もまた、最も豊かで人間的な営為であるがゆえに、生と死の冷厳な現実から逃れることはできない。

 しかし革命運動の豊かさと根底性は、プロレタリア自己解放、人間の全人間的解放、共同性の奪還を求めて、陸続と決起する膨大な労働者階級と人民を生み出す。あなたの60年安保闘争以来の学生運動と革命運動へのひたむきな決起と情熱は、日本革命運動の躍動性と大衆性と根底性を階級闘争の歴史に刻み込んだ。これは誰もができることではない。あなたの堅忍不抜の精神が、新たな力を生みだし、革命運動を発展させた。革共同は、この素晴らしくも偉大な現実と地平を、闘いの糧としてさらに力強く前進する。

 北小路同志。あなたが求めてやまなかった世界史的な階級対階級の激突情勢、革命情勢が急速に接近している。大恐慌は、米帝基軸の帝国主義戦後体制の解体を一挙に進めている。大恐慌は全世界に大失業を生み出し、労働者階級を食べさせることができなくなった資本主義は、ついに終わりを迎えた。また大恐慌は、領土・資源・市場の分割・再分割戦、侵略戦争・世界戦争へと転化し始めている。だがそれは全世界で、労働者の「生きさせろ!」の叫びと決起を生みだしている。

 今こそ「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」の闘いを発展させることが死活的になってきている。階級的労働運動の創造と発展は、労働組合の力、労働者階級の階級的団結をもって世界革命へと躍り出ることを可能にした。この世界史的現実こそ、北小路同志が何よりも希求した現実だ。階級対階級の激突に勝利し、労働者階級が社会の真の主人公となるために、あなたの労働者階級の決起への限りない確信を胸に、われわれもまた万里の波涛(はとう)をのりこえ、プロレタリア解放への道をしっかりと切り開いていく。このことこそ、あなたを尊敬し慈しむ革共同の最高の任務だと思う。

 (二)  
 北小路同志は、全身全霊を傾けて革共同を守り、闘い、革共同の前進の基礎を築いた。それは何よりも現代のナチス、ファシスト・カクマル打倒に向けて最先頭で闘ったことである。日本階級闘争がかつて経験したことのなかったことが、現実の階級闘争の前面に登場してきた。それは階級闘争の発展に恐怖し、革命闘争を破壊するために、白色テロルをもって革共同に襲いかかってきたファシスト集団、カクマル反革命との戦争であった。

 革共同の多くの労働者・学生の同志が、武装自衛の精神で、白色テロと闘う建軍闘争に決起した。全党が一丸となって、70年安保・沖縄闘争の爆発に対する反革命として登場したカクマル白色テロ集団と闘った。北小路同志を先頭に、71年12・4反革命、75年3・14反革命と闘った。反戦派労働者は自ら決起し、70年闘争を切り開いたその力を、現代のナチス=カクマル反革命完全打倒の戦いへと注ぎ込んだ。そして革共同とカクマル反革命の、血で血を洗う20年間の激しい激突を通して、ついに階級的力関係を変えたのだ。

 われわれは、この二重対峙・対カクマル戦争とその勝利を誇りに思う。あの時、カクマル反革命との闘いにちょっとでもひるんでいたら、革共同は存在しなかった。大恐慌を世界革命の時代へと転化する情勢を迎えることができなかった。階級的労働運動に全精力を投入することもできなかった。このことへの心の底からの激しい喜びは、北小路同志が最も深く理解し、共有してくれていたことだと思う。

 (三)  
 あなたは、革共同への国家権力の破防法(破壊活動防止法)攻撃を徹底的に粉砕するために、非合法・非公然体制建設の闘いを貫徹し、最も国家権力とファシスト・カクマルから恐れられ憎悪された、最高指導部であった。国家権力は、騒乱罪でデモの爆発を鎮圧し、大衆集会の演説に破防法扇動罪を適用して逮捕する。革共同の全同志を対象に不当な家宅捜索を行ったり、事務所の封鎖を画策する。許し難いデッチあげ弾圧を次々に強行する。

 これらと闘い勝利してきたのは、革共同が先制的に非合法・非公然体制確立の闘いをやってきたからだ。この闘いは、帝国主義国家権力との死闘に勝利し、労働者党を建設する闘いそのものである。それはまた国際共産主義運動の総括でもあり、戦前・戦後の日本革命運動を総括し発展させる、本質的な闘いだった。わが革共同は、階級の大地に根を張り、労働者階級と一体となって、不撓(ふとう)不屈にこの偉大な闘いをやり抜いてきた。大恐慌時代への本格的突入、戦争と大失業の時代の到来は、こうした闘いをますます求めている。非合法・非公然体制確立の闘いにおける北小路同志の闘いは傑出していた。このことをあなたの霊前で、ともにしっかりと確認したいと思う。

 (四)  
 74〜75年世界恐慌は、戦後帝国主義の転換点であった。それは帝国主義の本質的危機、過剰資本・過剰生産力の問題を衝撃的に突き出した。帝国主義がこの危機を突破するために繰り出したもの、それが新自由主義だった。徹底的な団結破壊、闘う労働組合の解体によるむきだしの労働者支配という新自由主義攻撃を、米・英・日帝国主義が先頭となって強行してきた。

 この日帝の新自由主義攻撃の突破口が国鉄分割・民営化だった。それは「血の入れ替え」と言いなし、JR総連カクマルを先兵として、そのファシスト支配を認めないものは一切排除する攻撃としてあった。国鉄分割・民営化の攻撃は、JR資本とJR総連カクマルの結託体制のもとに展開された。これに対し動労千葉は、1100名組合員の団結をかけて、分割・民営化攻撃に総反撃し、85年〜86年の大ストライキを打ち抜いて闘った。しかもこの動労千葉の決起は、空港建設の攻撃と闘う三里塚芝山連合空港反対同盟との強い階級的一体感、労農同盟の絆(きずな)のもとに闘われた。

 北小路同志は、この1980年代の新自由主義攻撃と闘う国鉄・三里塚決戦に断固決起し、日本階級闘争の前進を不屈に切り開く先頭に立った。これはまさに、80年代の闘いで革共同が胸を張って誇れる偉大な階級決戦であった。とりわけ労働者と学生の三里塚十字路決戦と浅草橋戦闘は、動労千葉の戦闘的組合の闘い、三里塚農民の農地死守の闘いに断固として連帯し、守り抜く、革命的な決起だった。

 この80年代の勝利は、89年〜91年の東欧・ソ連スターリン主義の崩壊、89年総評解散・連合結成という情勢に対し、闘う労働者階級がスターリン主義を徹底的に断罪し、マルクス主義を復権して、革共同が91年の5月テーゼ路線をもって労働運動に戦略的に体重をかけることを可能にした。北小路同志はその先頭で革命の大旗を振った。

 (五)
 北小路同志。あなたは疾風怒涛(どとう)の革命家人生を生き、かつ闘った。その精神は、60年安保闘争を継承し、発展させ、のりこえるものとしてあった。安保ブンドは、反帝・反スターリン主義の影響を受けて日本共産党から決別し、反スターリン主義の運動をつくりだすべく闘った。それはプロレタリア世界革命と暴力革命を立脚点にして、60年安保闘争という巨大な大衆闘争をつくりだした。しかし、革共同はこの60年安保闘争を切り開いた安保ブンドの大半を組織できなかった。それは、革共同の内部にあった小ブルサークル主義と同時に、安保ブンドの思想的基盤の脆弱(ぜいじゃく)性にも根拠があった。「社・共に代わる労働者党建設」「反帝・反スターリン主義世界革命」は、少なくともブンドの一定の指導部においては共通の認識であった。

 その中で北小路同志は、これらの事がらを思想的に必死で総括しつつ愚直に実践し、ブンドから革共同に革命的に結集する闘いの先頭に立った。60年安保の精神を継承し、発展させ、のりこえる苦闘をやり抜いた。革共同はこの間、青年労働者が階級の指導部として労働者自己解放の闘いを開始すると同時に、学生運動の再生をかけて、強力な指導部建設の闘いを断固として前進させてきた。

 日韓米を軸に打ち固めてきた国際連帯闘争は、動労千葉労働運動が切り開いた革命的地平である。この闘いは共産主義インターナショナル建設の闘いとして不可避的に発展していく。革共同は『綱領草案』を、闘病中の北小路同志に送り届けることができた。このことは無上の喜びでもある。

 50年余の不屈の革命家人生は、その後に続く多くの同志を生み出した。階級的労働運動路線は、全世界のプロレタリアートの団結を基礎にして発展する。われわれは労働運動の前進で革命を主体的にたぐり寄せるのだ。北小路同志。われわれはあなたを失った深い悲しみの中から、しかし再び三たび不屈に立ち上がる。悲しみを階級的怒りに替えて突き進む。プロレタリア世界革命に勝利することが、あなたへの最大のはなむけだと思う。北小路同志。大きな風となって天空を舞いながら、ともにプロレタリア世界革命の勝利へ前進しよう!
 週刊『前進』(2467号1面2)(2010/12/06 )

 北小路敏同志が逝去 偉大な革命家の業績しのび お別れ会など1千人が送る

 革命的共産主義者同盟副議長で、一貫して先頭で革共同を指導してきた北小路敏同志が、敗血症で11月13日、逝去した。74歳だった。16日に通夜、17日に告別式がそれぞれ都内で催され、28日にはお別れの会が東京・杉並の西荻勤労福祉会館で行われた。延べ千人を超える同志、友人、知人が弔問に訪れ、偉大な革命家の業績をしのんだ。(2面に革共同の追悼文とお別れ会の報道、3面に北小路同志の略歴など)

 北小路同志は、高校生時代に共産主義運動に目覚めて以来、生涯を通じてプロレタリア革命の勝利のために闘い続けた。60年安保闘争の頂点をなした6・15国会突入闘争を全学連委員長代行として最先頭で指揮し、さらに70年安保・沖縄決戦の突破口を開いた67年10.8羽田闘争の先頭に立った(両闘争で逮捕・起訴)。

 戦後階級闘争史を画する二つの大闘争の先頭に立ったことに示されるとおり、北小路同志は誰よりも激しく帝国主義権力とその暴圧を憎み、労働者階級の怒りを体現してまっすぐに闘い抜いた。それだけではない。70年安保・沖縄闘争に対して革命の危機を感じた日帝権力が破壊活動防止法を発動し、本多延嘉書記長、藤原慶久東京地区反戦青年委員会世話人らを逮捕する攻撃に打って出てきた時、党の非合法・非公然体制をつくる先頭に立ち、自らは公然面で全重圧を引き受けて闘った。さらに、権力の手先となったファシスト・カクマルが71年12.4反革命をもって革共同壊滅の武装襲撃に出てきたのに対し、身を挺(てい)して闘い抜いた。カクマルはとりわけ北小路同志を憎み、彼に対する白色テロ襲撃を繰り返した。74年2月には重傷を負わされた。だが、北小路同志は不死鳥のごとく立ち上がり、同年8月の革共同政治集会では、火を吐くような勢いで二重対峙・対カクマル戦の総反攻突入を宣言した。

 75年3・14本多書記長暗殺の大反革命に対し、敢然と立って、70年代、80年代の闘いを勝利に導いた。三里塚闘争、動労千葉を先頭とする国鉄闘争の先頭に立った。東京、大阪などで開かれた革共同政治集会では、少なくとも70年代に30回、80年代に20回の基調報告を行っている。最も厳しい闘いの時期に文字どおり仁王立ちして、全党員、支持者、全労働者階級に向かって勝利の大道を示し、獅子吼(ししく)してやまなかった。この時期の革共同を政治的人格的に代表する存在だった。北小路同志の粉骨砕身の闘いなしに今日の革共同はなかった。

 その燃える情熱、裂帛(れっぱく)の気迫、しかも味方勢力に対する深い愛情にあふれた演説は聴衆の心をわしづかみにした。どんなに激しい闘争方針も、大衆的説得力を持って打ち出された。北小路同志は、91年5月テーゼ、06年「党の革命」から今日に至る闘いを断固支持し、病を抱えながら全力で応えきろうとたゆまぬ努力を重ねた。最期まで闘いの現場に戻ることを願い、その革命家としての人生を全うした。 北小路同志の闘魂、革命精神は、今、マルクス主義青年労働者同盟の青年労働者や全学連の学生にも連綿と受け継がれ、大恐慌を革命に転化する闘いの中に生き続けている。北小路同志を指導者に持ったことは、われわれ全員の誇りである。その革命への確信を自らのものとして一層打ち固め、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命の勝利まで闘い抜くことを誓う。


【革命的共産主義者同盟議長 清水丈夫の北小路敏同志追悼】
 週刊『前進』(2469号2面1)(2010/12/20 )北小路敏同志の逝去に際し、万感の思いを込めて心から追悼の意を表す 革命的共産主義者同盟議長 清水丈夫 」。
 (写真 法政大での講演集会で訴える北小路同志【77年9月30日】)
(1)  私は、学生時代・青年時代から今日まで、全闘争生活・全組織生活を北小路同志とともにしてきました。北小路同志の御逝去に際して、本当に万感の思いを禁じえません。北小路同志の存在と指導性、そして偉大な力量に依拠することなしに、絶対に私自身ここまでやってくることができなかったことは明らかです。本当に北小路同志にいくら感謝しても感謝しすぎることはないと思っています。心から御冥福を祈ります。

(2) 北小路同志! あなたは全人生をかけ、帝国主義に対する激しい怒りを全身にたぎらせて、まさに仁王のごとく立って、プロレタリア革命の勝利のために、闘って闘って闘い抜かれました。そして、日本における反スターリン主義・革命的共産主義運動において、その草創期から今日にいたる戦略的前進の全過程の先頭に立って、指導的重責を担い抜かれました。そして今日、帝国主義とスターリン主義の世界体制が、大恐慌の重圧のもとで崩れかかりつつあり、資本主義の終わりがはっきりと見えてきた中で、階級的労働運動路線のもとに、闘う労働者とともに革共同・マル青労同・マル学同の全同志が一体となって、「大恐慌をプロレタリア世界革命へ」「国鉄決戦を貫徹してプロレタリア世界革命へ」の合言葉のもとに前進を開始している現実を、心からよろこび、プロレタリア革命の勝利への絶対的確信を日々強めて闘っておられたことと推察しています。

 北小路同志! 私は、同志が切り開き、築いた土台の上で、革共同の同志たちが、その遺志を継いで、必ず帝国主義の打倒、プロレタリア革命の勝利に向かって驀進(ばくしん)していくことを確信しています。私も、同志たちとともに徹底的に闘い抜くことを固く誓います。

(3) 北小路同志は、周知のように、他に類をみないスケールの大きさと精神的強靭(きょうじん)性をもった同志でした。これは、戦後革命以来の日本階級闘争の戦闘的伝統を踏まえつつ、反スターリン主義・革命的共産主義の労働者階級自己解放闘争の思想と実践の苦闘の中で、北小路同志がマルクス主義を本当に血とし肉とされたことに根拠があると思います。この労働者階級の革命性、階級性への全幅の信頼を不動の基盤とし、それに裏づけられて、北小路同志には、いくつかのすぐれた特質があったと思います。

 ひとつは、帝国主義・資本主義へのすさまじい怒りと憤りです。搾取、収奪、抑圧と支配、殺戮(さつりく)、反動、侵略、弾圧などをこととする帝国主義・資本主義を打倒せずにはやまずという精神がみなぎっていました。この意味で、彼は一度に何万という人びとに訴えかけ、心を揺さぶる力を秘めていました。いまひとつは、本当に徹底的に実践的であることに執念を燃やし、そして、いったん開始した実践は必ず貫徹することに徹底的にこだわる人だったということです。本当に心づよい、頼りがいのある同志だったと思います。私はいつも、このすごさに頭をたれ、敬服していました。

(4)  北小路同志を追悼するにあたって、何よりも決定的に確認すべきことは、わが反スターリン主義・革命的共産主義運動の闘いの歴史において、同志が残した足跡の大きさということです。数多くある中で、きわめて重要と思われる二点について提起します。ひとつは、何といっても60年安保闘争における6・15国会突入闘争の最高指導者として、断固たる闘いを貫徹し勝利したことです。もちろん60年安保闘争は、大きな歴史的背景と労働者階級人民・青年学生の総力をあげた闘いとして実現されたものですが、しかし、60年安保闘争が60年安保闘争として今日語られるようなものになったのは、やはり6・15闘争の革命的爆発を抜きにはありえなかったことだと思っています。そして、その60年安保闘争は、戦後の社共的指導下の政治闘争の継続として爆発したものではけっしてないということです。端的にいって、日本における50年代後半以来の反スターリン主義・革命的共産主義の闘いが一定の前進を切り開き、日本階級闘争の大地に根付き始めたことこそ、60年安保闘争をあのように爆発させるものとなったのだということです。

 だからこそ、60年を主導したブンドは崩壊したけれども、60年安保闘争で立ち上がった青年労働者・学生をはじめとして、労働者階級は、スターリン主義・日共を前衛とは認めず、社共を超える労働者党の建設こそ、本当に安保粉砕・日帝打倒を可能とするものであるとして、大きく革共同のもとへの結集を開始するにいたったのです。かくて革共同を主軸として、日本の反スターリン主義・革命的共産主義の闘いは歴史的な歩みを開始しました。そして、革共同による革命的左翼の統一をバネに、革共同の闘いは前進し、労働者階級の党に真に成長するためには労働組合運動の戦闘的展開の先頭に立つべきだという、かの3全総決議への道が切り開かれたのです。このように見てくるならば、60年安保闘争がスターリン主義的勢力との激しい党派闘争の中で、反スターリン主義の影響下にある戦闘的学生のヘゲモニーで、6・15闘争として爆発し、勝利したことの意義は決定的に大きいのです。

 私がここで提起したいことは、反スターリン主義・革命的共産主義運動の影響を強く受けることをとおして、60年安保闘争はあのような歴史的大爆発をとげ、またそのことをとおして真に開示されたものは、日本の労働者階級の持つ反戦政治闘争(ひいては帝国主義打倒)へのとてつもない可能性、現実性だったということです。労働者階級が根底から全面的に決起したら、本当に天地をひっくり返す階級的力があふれ出てくるのだということが明らかになったのです。

 ちなみに、次のように言うこともできます。革共同は、3全総―3回大会をへて70年安保闘争に突入しますが、徹頭徹尾、革共同のヘゲモニーのもとで実現されたこの巨大な反戦政治闘争は、60年安保闘争の獲得した地平を前提に、いわばそれを一種の歴史的予行演習としてとらえ、真に労働者階級の党の立場に立って意識的に組織されたのです。こうして組織された70年闘争は、労働者党建設の圧倒的前進を切り開くものとなったのです。北小路同志の御逝去に際し、彼の遺志を受け継いでいく上で、これらの点について、しっかりと確認することは意義あることだと思います。

 さらに、北小路同志の闘いの足跡という点では、70年闘争へのファシスト的反革命としてのカクマルとの激しい二重対峙・対カクマル戦を、革共同は徹底的に闘い、勝利しました。この過程における同志の指導力、意志の強さ、貫徹力というものが、いかに決定的であったかは明白だと思います。さらに、北小路同志は、本多延嘉同志の提起した革命的議会主義の闘いを、杉並の地で現実に開始するという創業的闘いを、全同志の先頭に立って闘い抜きましたが、このことは決定的意味をもっています。そして、言うまでもなく、この過程は、国鉄決戦と三里塚決戦が歴史的な大爆発をとげた過程であり、北小路同志はまさにその先頭で指導的重責を担い抜いたのです。これは、同志の不滅の貢献だったと思います。さらに、5月テーゼから今日にいたるまでの北小路同志は、革命家魂をたぎらせて、全党の先頭に立って闘い抜きました。まさに、同志は闘って闘って闘い抜いた偉大な革命家そのものでした。北小路同志。50年余のわれわれの闘いはついに若き全学連運動を生み出し、大恐慌をプロレタリア世界革命へ発展させる最大の階級決戦へ突入しようとしています。このことは、北小路同志と私が心から望んでいたことであります。

(5)  北小路同志! いまや大恐慌は、大失業のみならず、戦争を生みだしています。そして、戦後体制は、国際的にも日帝的にもガラガラと崩れています。先の11月労働者集会において、この情勢を革命に転化するために、「大恐慌を世界革命へ」「大恐慌・大失業・戦争を世界革命へ」という、まさにそのために、国鉄決戦を2011年階級決戦として圧倒的に闘い抜こうという確認が行われました。北小路同志が全人生をかけて切り開いてきた反スターリン主義・革命的共産主義運動のこの地平に立って、いま全同志たちは、闘う労働者の先頭に立って闘いに立ち上がろうとしています。自分自身、この同志たちとともに、どこまでも闘い抜くことを表明して、北小路同志への贈る言葉とさせていただきます。北小路同志よ。いつまでもわれわれとともにあって、日帝打倒=プロレタリア革命のその勝利の日まで見守ってくれ。

【北小路敏同志の7回忌の集い】
 週刊『前進』04頁(2799号04面02)(2016/11/21)「北小路敏同志の7回忌 偲ぶ会で決意新たに 決断と貫徹力学び、遺志引き継ぐ」。
 2010年に逝去した北小路敏同志の7回忌にあたる11月13日、「北小路敏同志を偲(しの)ぶ会」が都内で開かれた(写真)。同志をよく知る60年世代、70年世代を中心に、若い学生も含めて50人が集まり、その革命精神を学んでプロレタリア革命勝利に進撃する決意を新たにした。

 北小路同志は、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争の先頭に立ち、70年代以来の二重対峙・対カクマル戦、三里塚・国鉄闘争の先頭に立って指導し、病気になっても最期まで回復を目指して闘いぬいた。偲ぶ会は藤原慶久同志の司会で始められ、北小路同志の遺影に向かって献杯した後、在りし日の北小路同志を映したビデオが上映された。60年6・15国会突入闘争、67年10・8羽田闘争、そして対カクマル戦の総反攻突入を宣言した74年8・3革共同集会での基調報告のさわりが鮮明な音声で流され、明快な路線と説得力あるアジテーションに感動の渦が広がった。韓国・民主労総のゼネスト闘争の記録が2本立てで上映された。

 革共同の天田三紀夫書記長が発言した。「昨日の韓国200万人決起で新しい過程に入った中で、この会が開かれていることは歴史的な意義がある。過去の思い出話ではなく、今日的な意義のある会にしたい。北小路同志の指導した20年間の対カクマル戦に勝利しなかったら今日はなかった。また、非合法・非公然体制の先頭で闘った功績は大きい。今、アメリカ、韓国の情勢は新しい時代が来たことを示している。日本の労働者階級も必ず立ち上がる。ロシア革命100年の17年、党と労働組合の一体的建設を進め、北小路同志の闘いを継承する」と力を込めた。

 その後、参加者全員が北小路同志の思い出や闘いの決意を述べた。6・15国会突入闘争の思い出、アジテーターとしての偉大さ、労働者階級に対する信頼、冷静沈着でなすべきことをやりぬく貫徹力、などわれわれが引き継ぐべき故人の資質が次々に語られ、偲ばれた。最後に藤原同志が「北小路同志、本多延嘉同志、中野洋同志をはじめとする先人の遺志を引き継いで革命に向かって闘おう。革共同は必ず勝利する」と宣言し、全員でインターナショナルを歌って団結を固めた。  





(私論.私見)