| 新左翼運動考 |

更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年2.13日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 新左翼も出現してからもうかれこれ50年になる。今更新左翼でもあるまい。歴史的には、ロシアマルクス主義と直結したコミンテルン支部としての各国共産党運動(我が国では「日共」)を批判して生み出された「新」左翼という意味を持つ。れんだいこは、「戦前日本共産党論」、「戦後日本共産討論」を書き上げたので、「れんだいこの新左翼運動考」をも記そうと思う。 が、もとよりそれがかなり難しいことは承知である。新左翼と云っても、革共同系のそれと、ブント系のそれと、文革毛派系のそれとは大きく異なっており、これを十把一絡げに纏めて評するということが如何に無謀であるか。しかし、れんだいこは敢えて共通項を抽出して論評してみたいと思う。 特に関心があるのは、日共系の左派運動がこれほど腐敗し、れんだいこ規定によれば、1955年の六全協で名うてのスパイ系列宮顕ー野坂連合により党中央が占拠されて以来の日共運動は、日共の名を騙りつつその実は本質的に見て、日本左派運動の抑圧、解体、変調指導を使命としており、そういう運動に終始してきているというのに、日共運動を批判して生まれた新左翼運動が、2005年時点において何ゆえ閉塞しているのか、それを説き明かすことにある。これは偶然ではない、と見立てるのがれんだいこ史観である。ならば、新左翼運動のどこに欠陥、瑕疵を見出すのか。これが本サイトのテーマとなる。どこまでやれるか分からないが出航してみようと思う。 2005.5.11日 れんだいこ拝 |
| 【新左翼運動の最大の欠点総括】 |
| 「新左翼運動の欠陥、瑕疵」のうちすぐに指摘できるのは、その理論が案外と陳腐だということであろうか。部分的な理論及び見解、指針は各派によって多少違えども、構図的に大きく見れば日共のそれと大差ない。つまり、新左翼運動は、日共を批判しながら他方で依然として半分は日共理論に甘えるかのように寄りかかっているのではないのか。つまり、口先とは別に日共運動を根底的に批判するという自立性に於いて未だ失敗しているのではないのか。ここに新左翼運動の限界を見て取ることができるのではなかろうかと思っている。 そんなことはない、何から何まで対立していると思っている者もいるだろう。そういう者は次のことが分かっていない。対立の真相は、日共運動が穏和式なのに比して、新左翼運動が全体的に見れば急進主義的であり、この穏和と急進の対立の差に過ぎない。つまり、行動からする見かけ上の差ほどには理論上は異なっていない、この限界こそ日共同様に党勢が伸びない真の理由ではないのかと思っている。 れんだいこが何故このことに拘るのか。それは、日本左派運動の未だ創出されていない本来式の奔流を生み出したい為である。「間違った理論構図の下での急進主義にはさほどの意味がなく、それよりも一刻も早く、いわば正しい理論構図の下での急進主義に転換して欲しい」と思うからである。 急進主義について一言しておく。何故急進主義でないといけないのか。それは、党派運動とはそもそもそういうものだからである。前衛論にも関わってくるが、鐘を叩く方が穏和主義な大衆埋没的な党運動など考えることすらできないというのが、れんだいこの党運動観である。この点からして議論せねばならないのは哀しい限りである。 しかして、急進主義そのものは情熱の為せる技であり、それ以外の意味を持たない。急進主義に値する理論と未来設計図に導かれなければ闇路を盲目的に突っ走ってるだけに過ぎない。それはむしろ危険であろう。今、ここが萎えているから日本左派運動が、あるいはもっと広く世界左派運動が首尾よく進展しない、れんだいこはそう思っている。そういう訳で、「急進主義に値する理論と未来設計図」について触れてみたいと思う。 ついでに述べれば、理論が貧困ということは実践も然りということであろう。万事辻褄が合っているという考え方からすればそうなる。すぐに気づくのは、「ニセモノとホンモノの区別ができていない」ということである。次に、相変わらず自己都合有利な統一戦線論に傾斜しており、本来必要とされている共同戦線の見地に立っていないことも然りである。更に、闘争経験を伝える教育手法が整備されていないことも然りであろう。これはれんだいこが偉そうに云っている訳ではなく、経験と読みに裏打ちされている。よって虚心坦懐に知るべし。 20045.5.13日 れんだいこ拝 |
| 【新左翼運動にれんだいこが云いたいこと箇条書き】 |
| れんだいこは、稀代のスパイ派に乗っ取られた日共派には関心がない。もはや、日共は党再生能力を失しており、歴史博物館へお蔵入りされるしか方法がないのではなかろうか。これを何とかせんとしてインターネット上に「さざなみ通信」が登場したが、その波紋は次第に萎えつつある。そういう訳で新左翼の解析に向うことになる。 れんだいこが新左翼に第一に云いたいことは次のことである。新左翼も共に陥っている見立ての悪さは、戦前戦後の日共運動論が宮顕史観に組み敷かれているところにある。戦前の福本イズム、田中清玄イズム、戦後直後の徳球ー伊藤律派の運動、「50年分裂」の見立て、武装闘争経験、六全協論、60年安保闘争論、その後のあれこれ等々について、新左翼は、宮顕史観以上の口汚さで罵るのを左翼だと考えている風がある。そういう錯覚に陥っているように見える。こういう辺りを宮顕史観に対抗して更に悪乗りするのではなく、評価の視点を全く変えた党史論を自前で獲得せねばならないのではないのか。それができていない。 宮顕党史論は意図的に癖がある。これを学べば学ぶほど不燃させられるよう仕掛けられている。本来なら評価されねばならない箇所があべこべに価値を貶められており、批判せねばならないところが逆に好評価されているきらいがある。よって、学べば学ぶほど役立たず阿呆になってしまう。そういう意味で、宮顕党史論のウソを見抜くことから始めねばならない。 そういう意味での検証が圧倒的におぼこ過ぎる。我々は先ずこのことを知らねばならない。それというのも、新左翼が、戦後直後の徳球ー伊藤律派の運動を批判し弾劾する側から始まっていることに原因があるように思われる。新左翼の源流は徳球ー伊藤律派の運動に徹頭徹尾逆らった宮顕派と誼を通じていた形跡がある。こういうところに新左翼運動逼塞の原因があるのかも知れない。 このことが自己批判されるべきであろう。れんだいこは、徳球ー伊藤律派の運動の限界を見て取るが、宮顕派の運動と比較すれば断然徳球ー伊藤律派の運動を支持する。戦前来の日共運動の伝統を継承しているのは徳球ー伊藤律派の方であり、宮顕派はかなり異質の、もっと云って良ければ当局内通派のそれでしかない。このことを正確に認識しない日本左派運動史観からは良質のものが生まれないのもむべなるかな。 |
| れんだいこが第二に云いたいことは次のことである。日本左派運動の理論的貧困である。今、ここで個々の事例を挙げて論じないが、全体的に日本左派運動内にはいつからかしら難しく難しく語り過ぎるインテリ風の理論が幅を利かせている。それでいて、日本左派運動史観になると滅茶苦茶な観点を披瀝しているからして、連中がこねくり廻す理論など底が浅い、その底の浅さを悟られまいとしてわざと難しく語っているに過ぎないと見破るべきだろう。だがしかし、この当たり前のことが共認されていない。 このことに関連して、日本左派運動の著作権フェチ問題がある。要するに、持論のあるいは研究の正々堂々とした開陳によほど自信がないのだろう、著作権囲いして仲間内だけに通用する解析、見立てを披歴し、部外者をシャットアウトする性癖がある。よしんば公開してもコピ-できないように摺りガラス文字化して引用転載できにくくして、それを学究的であるかのように装う癖がある。囲碁将棋の棋力で例えれば高段者以下の低段者止まりのレベルの仕業である。この悪癖を支持する風潮にあり決別する弁えを持たない。そういう者たちのレベルの者に権力を持たせるべきではないのは自明だろう。 |
| れんだいこが第三に云いたいことは次のことである。運動圏内に共同精神が涵養されていない。故ある分裂は造反有理として許容されるが、不要な分裂を好む癖がある。よって、「俺がワレが」の競りあいばかりのお山の大将気取りが多い。これは党派間の競り合いに於いてのみそうであるのではない。同じ流れが党内にも浸潤しており、今度は逆に党中央の権力を強化する弁論となり、党内に異論、異端、分派を認めない仕掛けになっている。この仕掛けが党内独裁を生む下地になっていると知るべきである。要するに、運動圏規約は無論のこと党規約が練れていないことに原因がある。党内及び運動圏に異論、異端、分派を認める規約を創出すべきである。理論的実践的に認められる分水嶺を探るべきである。 |
| れんだいこが第四に云いたいことは次のことである。日本左派運動には政治に責任を持つという作風がない。いわば万年野党のこじつけ批判運動に終始しており、結果的に体制のガス抜きをお手伝いしている観がある。政党の任務は政権を担うことであり、それによってそれまでの政府の施策より優れた政治を生むことである。この両面を遂行する能力を持たねばならないのは自明である。もし仮に政権を掌握したものの、それまでの政府の施策より愚昧な政治を生むようなことであれば、そういう政治運動を阻止するのも責務とすべきであろう。 |
| れんだいこが第五に云いたいことは次のことである。民族主義と国際主義のあるべき関連づけができていない。れんだいこが辿り着いた結論は国體論と土着性社会主義の称揚である。国體論を持つ土着性が民族主義に繋がり、国體論を持つ社会主義が国際主義に繋がる。この見地に立つと、民族主義と国際主義は相反するものではなく通底している。この理を知らねばならない。この点で、戦前戦後の左派運動が漠然と国際主義に被れ、理論と実践の基盤に土着性を据えなかったのは、理論上の大いなる貧困であったと悟るべきである。 天皇制問題はこれに関係する。天皇制を頭から否定するのではなく、どういう要件において許容されるべきなのか解明せねばならぬ。天皇制を国體論に結び付けて、国體論上有益な天皇制の在り方を探るべきである。現下の反天皇制イズムは小児病的な愚論でしかない。 |
| れんだいこが第六に云いたいことは次のことである。米英ユ同盟として立ち現われている「歴史的ユダ邪」としての「国際ユダ邪」(「国際奥の院」とも記す)を評する視点がない。世界は今、この「国際ユダ邪」に牛耳られており、彼らの狂気の理論に基づく政治災禍に見舞われている。これに対処する能力を持たねばならないのは自明なことである。 |
| れんだいこが第七に云いたいことは次のことである。「革命の青写真」を持っていない。これにつき、不破哲三は手足が縛られることになるとして公然と青写真不要論を唱えている。典型的な粗悪理論である。しかしながら、その非を衝く党派、理論家がいない。それこそお粗末なことである。 |
| れんだいこが第八に云いたいことは次のことである。世代間に継承する革命の伝統、それを培養する教育システムを持っていない。これは地味な仕事であるが一番重要なことである。留意すべきは、自らを正しい運動の主体として認識できている者に限って、その意志が産みだされ継続するという習性がある。これを思えば、「世代間に継承する革命の伝統、それを培養する教育システムを持っていない」のは、手前らの運動を正しいものとして認識できていないか、スパイ派の運動であるからであるということになる。 |
| れんだいこが第九に云いたいことは次のことである。資金調達能力に欠けている。資金調達能力は政治運動のみならず万国及び万事に共通なものであり、関係者が共同して且つ手分けして達成せねばならない。 |
| れんだいこが最後の第十に云いたいことは次のことである。新左翼運動を盛り上げた正の運動を学ぼうとせず、新左翼運動を衰退させた負の運動の方を興味本位に論(あげつら)う作法が宿痾化している。これをどうせんか。違うだろうと言いたい。それは丁度、事業学を学ぶのに、会社の経営を能く指導した経営者の采配を学ばず、会社を倒産させた経営者の采配を研究する姿勢と類似している。失敗事例から学ぶのも必要ではあるが、成功事例から大いにもっと学ぶのが自然だろう。これができていない気がする。 |
| 例を挙げればこうなる。学生運動を正成長させたものを見出して好評する。逆に、負成長させたものを見出して悪評する。これがスタンスになるべきだろう。この観点に従えば、「武井系の戦後全学連創出過程」の好評価検証が手始めになるだろう。次に、「イールズ闘争(1949-50年)とレッド・パージ反対闘争(50年)」による運動盛り上げが記述に値しよう。「武装共産党時代の共産党分裂に応じた全学連各派の分裂」が語られるべきだろう。次に、「砂川闘争」を検証せねばならない。次に「反日共系各派(革共同、ブント、その他)の創出」が語られるべきだろう。次に「革共同と第一次ブント、日共系の競り合いによる60年安保闘争」を語るべきだろう。次に60年安保闘争後の「第一次ブントの解体」を涙ぐみながら確認しよう。次に、1965年過ぎからの「学園紛争、それに伴う全共闘運動の創出」が語られるべきだろう。そして、「激動の10ケ月」。「東大-日大の連帯闘争」。次に「圧巻の全国全共闘創出」を称賛すべきだろう。そして1969年初頭の東大安田砦攻防戦、次に「不発の70年安保闘争」を検証せねばならない。直後の中核派による「革マル派/海老原君リンチテロ死事件」。「連合赤軍同志殺害事件」。次に「革マル、中核派、社青同解放派の党派間抗争」。次に三里塚闘争、赤軍派重房派のパレスチナ闘争、赤軍よど号派の北朝鮮亡命事件。早稲田の川口大三郎君リンチテロ死事件等々。これらが避けては通れまい。 問題は、それらのどれを、どのように解析し教訓化するのかにある。市井のそれは滅びの美学耽美的なものが多い。興味本位からすれば分からぬでもない。但し、れんだいこは、財界のご意見番と称された三鬼洋之助の経営論(読んでないのだが、「」等々)が、参考になる。経営学では成功事例を学ぶのが普通であるのに、学生運動学では失敗事例を取り上げるのを好む傾向がある。れんだいこは、違うだろうがと呟いている。こういうところからのレ―ルの引き直しを望んでいる。 |
| 2005.5.11日 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)