| 資料3、中核派の対応、論文 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元、栄和3)年8.9日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「資料3、中核派の対応、論文」をものしておく。 2003.7.16日再編集 れんだいこ拝 |
| 【中核派の報復考】 | |
「川口同志虐殺者に血の報復~遂に早稲田カクマルをせん滅~」(中核派機関紙「前進」第666号)。
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「川口君虐殺下手人逃亡分子を関西で摘発 ~早大田原を徹底せん滅~」(中核派機関紙「前進」第719号)。
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| 【水滴穿石.com政治局の内ゲバ外ゲバ論】 |
| 2024年07月03日、「No.0608 カクマルとの闘いを「内ゲバ」とする『ゲバルトの杜』」。 |
| 5月末から代島治彦監督の映画『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ』が「内ゲバの真相に迫るドキュメンタリー」の名で上映されている。映画は鴻上尚史が脚本を書き、池上彰、佐藤優、内田樹らが出演し、重信房子氏もメッセージを寄せている。代島監督の基本的視点は、川口大三郎さんの虐殺に抗議する闘いを「内ゲバ」(の始まり)とし、暴力的闘いからは何も生まれないとするようである。また多くの識者・関係者の登場により、50年を経て今の時代の大学や若者を考える契機にはなるだろうが、70年安保・沖縄闘争の意義とカクマルとの「内ゲバ」発生の社会的背景には踏み込まない。早大カクマルは描いても、転向し国労解体・国鉄分割民営化を導いた動労カクマル・松崎明が総評を解体させこの国の社会運動を転換させたことにも触れない。 われわれ革命的共産主義者同盟(再建協議会=通称中核派関西派)は2007年革共同中央と決別した組織だが、対カクマル戦の一方の当事者として党首を奪われながらも闘いつづけ、カクマルの軍事的脅威をほぼ排除し、今やこの国を「再び戦前にさせないため」に岸田政権の大増税・大軍拡攻撃と闘うものとして、この映画による「内ゲバ」キャンペーンは看過できない。 (以下の論は6月からの関西上映を前にしてのネット上の宣伝物によるもので、映画そのものへの論及は観てからにしたい) |
| (I)、川口さん虐殺弾劾・早稲田解放闘争は内ゲバではない |
| 1972年11月08日、狭山闘争を闘う早稲田大学文学部2回生・川口大三郎さんは、当局(村井総長)と癒着し早大を暴力支配していたカクマルにより殺された。彼らは狭山を闘う者が中核派に見え、川口さんを拉致し数時間にわたるテロ・リンチで殺害した。これに対し川口さんの友人たち、早大の党派・無党派の学生は川口さんの非業の死に怒り、これを開き直るカクマルを数千人の決起で弾劾し、多くの負傷者を出しながらも闘い抜いた。しかし一度はカクマル執行部をリコールしたが、早大当局の庇護を受けたカクマルの白色テロルに制圧され、より陰湿な支配が続く。友人や文学部学生、早稲田大全学行動委員会(WAC)の闘いは社会の共感を呼ぶが(筆者をはじめ多くの人が早大に駆けつけた)、最終的には全国動員のカクマルゲバルト部隊に抑え込まれる。この1年余の闘いのどこが「内ゲバ」なのか。 また映画のあらすじには「リンチ殺害事件をきっかけに、各党派で内ゲバがエスカレート」とあるがこれも違う。ここには71年12月4日以前の「各党派で内ゲバ」(学生内の暴力抗争)と、12・4以降の「カクマルVS中核派+解放派」の対カクマル戦争とが意識的に混同されている。「100人を超す死者」の95%は後者=3者間での事で、それ以外は学生運動内の死でも個別に事情は異なる。カクマルに殺されたという点では対カクマル戦かもしれないが、当事者早大生にとっては、一般学生の川口さん(知人に中核派がいた)が、カクマルに殺されたことを「内ゲバ」(どっちも悪い)と同列視し、早大カクマルの白色テロ暴力を容認するこの映画は許されない。学生間の暴力的衝突が内ゲバと言うなら、右翼・原理研との闘いや、日大全共闘や明大学費闘争を襲撃した体育会との闘い(日大には後に理事長になる相撲部の田中英寿がおり、明大には原発推進のCMに出続けた野球監督・星野仙一がいた)との闘いもすべて内ゲバになる。監督もマスコミも、これを内ゲバとは呼ばないはずだ。
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| 代島監督らは「この内ゲバへの恐怖が学生運動から遠ざけた」とするが、76年入学の早大で依然続くカクマルの暴力支配に「恐怖」を覚えても、中核派や解放派に「脅威」を感じたことはないはずだ。カクマルの暴力は中核・解放派や支持する人だけでなく、カクマルに異を唱える者すべてを敵とし襲いかかった。この事態は本映画の原作である元朝日新聞記者・樋口毅『君は早稲田で死んだ』に詳しい。発刊時これを読み、改めてより高度化されたカクマルの白色暴力行使に、十分対応できてなかった事を知り悔しさを覚えた。代島監督らは多分「(カクマルも含めた)新左翼内部のゲバルト行使全体」を「内ゲバ」と呼ぶのであろうが、三派全学連内での暴力行使(この件については次に論じる)は多々あっても、対カクマル戦争以外には持続的な死者は出ていない。 カクマルのテロは、早大反戦連合への今も語り継がれるリンチ、68年11月東大闘争さなか解放派への激しい暴力襲撃(100人規模で1週間)、69年1月東大闘争逃亡を全党派・全共闘から弾劾されるや、その暴力は全党派に向けられる。もともと対立党派への権力弾圧を「チャンス」ととらえ、「他党派解体のための党派闘争」を組織路線としたカクマルは、69年4月の中核派・ブント最高指導部への破防法適用、11月の数千人の逮捕、71年11月過程で再度の破防法攻撃、数千人逮捕を、絶好のチャンスと捉え(カクマル議長黒田寛一は「今賀千安」の筆名を使った)、71年12月の中核派3政治局員への襲撃、12・4関西大学バリケード襲撃で中核派2人の殺害を機に、70年安保・沖縄闘争のさらなる発展を暴力的に襲撃・鎮圧する反革命としてカクマルが登場したのだ。69年12月、11月決戦で全党派・各大学全共闘が数千人規模で逮捕され、機動隊に殺された岡山大生・糟谷君虐殺抗議人民葬すらカクマルは襲撃する。反撃で逮捕された中には法政大の糸井重里氏もいた。 この種のカクマルの襲撃は各大学で頻発し、それゆえ「革マル派排除」は新左翼全党派(8派)・全共闘・反戦の共通確認となった。この事実を踏まえず、半世紀を経て映像で「内ゲバ」としてカクマルの暴力を擁護する意図は何だろうか。 |
| (Ⅱ)、動労カクマルの「暴君」松崎明になぜ言及しないのか |
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この映画を見た人はカクマルという組織の恐ろしさを改めて認識するだろう。しかしそれが早稲田・学生の抗争としたら、歴史全体を見る目がない。なぜならカクマルは70年闘争の爆発抑止(大学で左翼を装い襲撃し鎮圧する)以外に、動労カクマルという形で戦後左派の大母体=総評の解体のため決定的な役割を果たすからだ。すなわちカクマル=松崎による動労(動力車労働組合)乗っ取り、国労(国鉄労働組合)解体・国鉄分割民営化、そして総評の解体だ。代島・鴻上という「遅れてきた青年」はそこまで関心がないかもしれないが、『日本左翼史・4部作』で戦後左翼を論じ、この映画にも登場する池上彰・佐藤優は今日の翼賛政治の原因に、総評が動労カクマル=松崎明により解体されたことをなぜ論じないのかだ。
池上・佐藤らが発展を願った社会党は、中曽根内閣の「戦後政治の総決算」=国鉄分割民営化・国労解体・総評解体で一気に衰弱。ゲバルトの杜=早稲田大で当局と癒着して盗聴・学内パトロール・自己批判=退学強要で白色支配したカクマルは、動労・国鉄でも大規模な盗聴・暴力で動労を乗っ取り、当局と一体となって分割・民営化の先兵となり国労を解体し(動労はJRに再就職、国労の大半は余剰人員)、「昔陸軍、今総評」はほどなく消滅し、その系譜をひく政党は30年後にはわずか3国会議員の社民党になった。 この動労カクマルとの闘いでも中核派・解放派は、松崎の右腕=松下勝高崎地本委員長や国労の破壊者=真国労の前田らを打倒し(100人を超す死者には国鉄・全逓の組合員が多数いる)、カクマルの弱体化を進めた。西岡研介『マングローブ』・『トラジャ』、と牧久『暴君』などには、松崎明が暴君として君臨し、国鉄改革3人組と癒着・抗争し、さらには多数の死者・海外亡命者も出したカクマル内抗争も詳述される。カクマル本体の黒田議長を辞任させた松崎が、動労を「左派」から「コペルニクス的転換」し、その後松崎明はJR総連会長となりJRに君臨する。JR総連は日本新党の枝野幸男に多額のカンパをし、元キャスターの小池百合子を集会司会者に呼んでいる。この時代、松崎は会長室に「日の丸」を飾り、勝共連合機関紙『世界日報』に10回も登場した。しかし、ならず者・カクマルを「先進国」の鉄道部門に抱える危険性をJR当局は認識し、松崎との対決路線に転じる。国家権力・警察は、警察無線を傍受するカクマルの白色テロ部門に、2000年の豊玉アジト弾圧以降、系統的に弾圧を加える。最終的には2010年の松崎の死を契機に、JR東労組の松崎支配は崩壊する。 この恐るべきカクマルの動労支配のカラクリを社会主義協会派の池上・佐藤は語らず、たかが動労となめていた(当初は労運研=反カクマルが多数だった)太田協会・向坂協会派は一戦も交えず動労を乗っ取られ、国労をつぶされ、少数派に追い込まれる。『ゲバルトの杜』(早稲田)と『暴君』(動労)は、当局と癒着した運動つぶし・白色テロ行使のカクマルという同じ脈絡でなされた。今日の「自由な言論空間」は、中核派や解放派が党首を暗殺され満身創痍になりながらもカクマル白色テロ部隊を粉砕した空間でなされているのだ。1972年なら、カクマルを少しでも批判する者は間違いなく第2第3の川口さんになっていただろう。 |
| (Ⅲ)、転向を勧める佐藤優・池上彰 |
| 実はこの映画に先だち「知の巨人」池上彰・佐藤優は2021年6月から『日本左翼史』4部作を上梓し、社会党・共産党・新左翼の評価・総括の中で、とくに新左翼に対しカクマル擁護と内ゲバ史観を展開している。動機は「左翼の失敗を繰り返さないため」であるが、真意はアベノミクス崩壊から日本帝国主議が全社会分野で崩壊寸前に至り、「悪夢の政権交代」と70年を超える闘いの到来を回避するためと言うと、うがちすぎであろうか。 断っておくが田崎史郎のような自民党提灯持ち評論家に反論しようとは思わない。しかし佐藤優は高校時代から社会主義協会下で『資本論』を座右の書としたたバリバリの左翼活動家だ。池上彰も高校時に新左翼の洗礼をうけ、大学ではマル経を学び、NHK入局後も社会主義協会系の活動家で、2020年には的場昭弘神奈川大教授と『今こそ「社会主義」』を上梓している。それらの人物が時代の右傾化と自己の思想遍歴を総括するのでなく、あたかも他人事のように「左翼史を総括」し「転向を勧め」ているのだ(実は田崎も70年闘争時三里塚闘争で逮捕され全面ゲロし転向した人物)。特に向坂派の佐藤は、大学時代には太田協会派が強い尼崎の叔父宅(=上江洲久社会党兵庫県委員長、兵庫県議、沖縄県人会県本部会長)を訪れる際は太田協会派の目を避けた人物でもあった(両派間での抗争もあった)。人の「誤り」を言う前に、母親とも信奉した社会党がなぜ150議席から3議席になったのか、再興の道はなかったのか、三里塚闘争を支持した叔父が終生を尽くした沖縄の闘いとも今は別れ、イスラエルやロシアをなぜ支持するのかをこそ総括すべきではないのか(東大文学部で、カクマル周辺にいた内田樹については映画鑑賞後に意見を述べたい)。 |
| (Ⅳ)、新左翼内の内ゲバについて |
| 次に70年安保・沖縄闘争をけん引した左翼は、運動の再興には統一戦線と党派闘争・党内闘争の総括が問われている。カクマルとの抗争は内ゲバではなく外ゲバだが、新左翼内の内ゲバ=「人民内部の矛盾」をいかに克服するかである。遅きに失するかもしれないが、中核派と、その流れをくむ我々再建協・「未来」派の責任は重いと考える。 |
| ①10・8前夜の解放派へのテロの誤り |
| コミンテルン=スターリン主義の色濃い日本左派運動は、党派対立(それ自身は常にある)を大衆団体に持ち込み、分裂させる誤りを絶えず犯してきた。三派全学連はそれを可能な限り克服した団体であったが、67年10・8羽田闘争前夜に中核派指導部(清水丈夫政治局員)が解放派指導部(高橋孝吉全学連書記長)に、それまでとは次元を画するテロ・リンチを加えた。批判の理由は「社民としての解放派の右翼的転落」であるが、中核派は10・8羽田闘争の画期的成果の裏で「前夜のテロ・リンチ」を今日まで隠蔽する。 また本多延嘉革共同書記長の統一戦線論は、3派共闘の拡大・強化、社民との共闘=反戦青年委、日共との共闘=反安保統一戦線であるが、それぞれ論争・抗争はあるが、69年4月には5派共闘・30団体声明となり、9月全国全共闘結成時には(カクマルを排除した)8派共闘にまで拡大した。もちろん日本共産党とは激しく闘い、社民勢力とも「反戦排除・凍結」をめぐり協会派とは争い、埼玉県反戦(三田岳)・全大阪反戦(主体と変革)らとは10府県反戦として共闘・論戦をしていく。 しかし解放派に対する論戦以上の暴力的攻撃をする理由は語られない。そこには「反スターリン主義」と言いながら、スターリンが1930年代に取った「社民主要打撃論」があったと思う。新左翼間抗争としては、他にブント内の党内闘争・分派闘争・党派闘争、70年代末東北大での解放派VS第4インターの抗争などがある。われわれは改めて「本多暴力論」と社民主要打撃論克服の再検討が必要だろう。 |
| ②三里塚闘争をめぐる第4インターへの革命軍発動の誤り |
| 今一つは1978年以降の三里塚闘争の中で、敵権力・空港公団の攻撃と絡まり支援党派間の対立と反対同盟の分裂がもたらされ、さらに78年管制塔占拠の主力をなした第4インターに革共同は革命軍の暴力を発動し、新左翼内内ゲバと対カクマル戦争を同列視する致命的誤りを犯した。ここでは大衆運動の主導権奪還に暴力的党派闘争を発動する誤りの上に、反ファシズム解放戦争と言いながら人民内部に致命的亀裂を持ち込み、当然ながら革共同は孤立した。孤立を隠蔽するために暴力的威圧を加えた。この件では2007年に革共同中央(『前進』)から分離・独立し自由をえたわが革共同再建協(『未来』)は謝罪と自己批判をしたが、本質まで踏み込んだ自己批判とは言えず、当事者に受け入れられなかったと認識している。その後明確な「抗争」的事態は無いとはいえ、それに甘んじることなく、戦闘的共同闘争を誠実に進めていくことで償っていきたいと考える。われわれの主張に誤りがあれば指摘し、理があれば採用し、共同の戦線が広がることを望みたい。 今一つは、80年代「三里塚基軸論」下で、主に学生戦線などで無党派のいくつかのグループに暴力的威嚇・恫喝をおこなったことが指摘されている。相対的多数や軍(の軍事力)を背景にしての威嚇など、社会主義をめざす運動としては腐敗の極みで、今後の克服課題として、この際表明しておきたい。 |
| ③、革共同における党内民主主義の欠如 |
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新左翼内の内ゲバについては、多数の潮流がある中で一定の論争や抗争の全面禁圧をすることは逆に不健全だろうが、党派闘争の暴力的展開の頻発は、「プロレタリア民主主義」を標榜する新左翼の「民主主義」の軽視に原因があるのではないかと考える。「人民内部の矛盾」を解決する手段は徹底的な民主主義以外ない。民主主義は「面倒くさい」ものだが粘り強く闘い取る中で「文化」となる。また党派的困難を他党派批判で突破する傾向がわが革共同に存在した(緊張政策)と思う。革共同は「反スターリン主義」と言いながら、第3回大会第2報告(1966年)では、反スタ(ママ=スターリン主義?) を「一国社会主義と平和共存」に切り縮め、後に問題となるレーニン・トロツキー・スターリンに共通する「生産力至上主義」批判の欠落や、今一つは運動組織論における党内民主主義の欠如・官僚主義との闘いの不十分性があったと思う。
特に後者は、既述のスターリンの社会ファシズム論=社民主要打撃論克服の不十分性と相まって、党内論議を抑圧し運動の困難局面を他党派批判で突破する傾向を増大させた。 党内民主主義の欠如は官僚制をはびこらせる。共産主義を目指すものとしての内部徹底討論と、大会の定期開催、決定の遵守と次大会での再討論、役員の選挙・一票投票(ほとんどの政党が形式化している)、必要な時には分派の自由などを「党内文化」として闘い取っておれば、67年10・8羽田闘争前夜のテロ、70年8・3問題の処理、84年第四インターへのテロなどは修正・自己批判ができたのではと思う。4回大会から5回大会までは10年以上、6回大会は20年も経て、それも一般党員には知らされないままということが、輝かしい67年10・8闘争以来の激動の裏で進行していた。 われわれ再建協は「自立した共産主義者」として2006年3・14に決起して以降初めてこの課題に取り組む自由を得て、今一度「民主主義を闘いとる」課題に直面・実践している。また右記各問題のその時々に、これまで隠蔽されてきたが「反対派」がいたことをも知り始めている。過去の歴史は変えられないが、史実を掘り起こし批判を受け入れての総括が進めば、必ず新しい未来を切り開くことができると確信する。
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| (Ⅴ)、現在のカクマルをどうとらえるか |
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1971年12・4以降、90年代初めころまでのカクマルとの闘いは、反革命に対する戦争で、内ゲバではなく外ゲバである。映画『ゲバルトの杜』でも73年9月(中核派が報復戦に突入。解放派の9・15戦)で早大の自由を求める闘いとは次元が異なる段階に入ったと、自衛武装を実践した野崎さんは記している。学生戦線だけでなく、動労・国労・全逓などにも内戦は拡大し、77年2・11中原一氏虐殺報復戦での藤原隆義(杜学)せん滅、80年東工大5人せん滅でカクマルの骨格的軍事力は砕け、カクマルは中核派・解放派に負けているのではなく権力の謀略部隊による謀殺と悲鳴を上げる。
90年代には動労の転向と路線的混迷からカクマル本体(黒田寛一)VS動労カクマル(松崎明)の2度にわたる全面抗争が始まり(第1回は92年DI提起、第2回は2000年坂入ら致事件)、内部粛清・海外亡命が続き、混乱の責任で96年には黒田の議長辞任に至る。次いで98年豊玉アジト・浦安アジト摘発、2002年札幌アジト摘発で残存カクマル№.3塩田逮捕・懲役5年でウラ部隊の骨格も崩れる。ゲバルトの杜で「革命に命をかけている」と発したSらは、その後動労書記となり、アジトで秘密活動をおこない、最後は「CIA長官・塩田」とともに壊滅した。2006年の黒田死亡に続き、松崎も10年12月に死亡し、18年~19年にはJR東労組から3万5千人の組合員が脱退した。 70年安保・沖縄闘争の持続的爆発を「権力弾圧では潰せない中核の下の急所を蹴り上げ」大衆闘争爆発を抑え込む役割も、動労乗っ取りから国鉄分割民営化への全面協力・JR総連一時君臨も破産し、最後は「狡兎死して走狗煮らる」の諺を地でいき、早稲田からもJRからも放逐された。 時折カクマルが集会にビラまきに来る。70年代のカクマルの悪業を知る人は受け取らず、動労・学生・ウラ部隊なきカクマルを知る人は、目の前でビラを破るが文句ひとつ言えない。
敵戦闘力消滅が久しいカクマルはもはや「相手にせず」だ。 70年闘争を教訓とし、戦闘的大衆闘争の発展の中に自衛武装をはらませ、70年を超える闘いを創り出すのが、労働者・人民の共通の闘いではないか。 |
| 映画での内田樹・石田英敬の反動的役割 |
| 筆者は本映画を5月初めに見て、監督にもその場で意見・批判を言った。最終場面に東大仏文卒の内田樹・石田英敬と高名な学者が出てくる。いずれも一時期カクマルに身を置いた人物だ。内田の昨今の天皇制賛美は、黒田の晩年のナショナリズム満展開の歌集『日本よ!』に倣ったものではないか。思想家としての階級的総括ではなく、「おでんただ食い(カクマルデモ隊がした)」や「内ゲバ陰惨」は三文評論家でしかない。早大の川口さんの友人は(藤野豊を除き)自己総括を深めているのに、最終場面で東大の2人を出し「鎮魂」を演出する監督の在り方は承服できない。「誰でもあの時代は総括できない」とするなら、川口さん虐殺弾劾・早稲田解放を求める闘いは、73年9月をもって異次元の状態に入ったとすべきだ。フランス占領のナチスとの闘いは、非公然下で「ナチスを1人殺せば、レジスタンスは百人殺される」関係でも44年フランス解放までやむことはなかった。早稲田の闘いは地下に潜りながら、50年をへて自由を得た樋田氏の著作で克明な事実が再浮上した。1972年時、川口さんや早大生たちが求めた抑圧からの解放の闘いは今も続いているはずだ。川口さんが闘った狭山差別裁判糾弾の闘いは、第三次再審請求の正念場にある。川口さんの遺志を継ぐ者は、狭山闘争に限らず、この人間解放の闘いをこそそれぞれの場で進めるべきではないのか(71年~70年代狭山闘争を闘った筆者も昨年、何年かぶりに石川一雄さんにお会いした)。 |
| おわりに |
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2022年末に安保3文書が決定され、先制攻撃のため5年間43兆円の軍事予算を組んだ岸田政権に対する闘いは、70年安保・沖縄闘争を超えるものになることは間違いない。その際の闘争形態は、それを担う労働者階級・人民が選択するもので、かつて日大闘争はそのようにして発展した。今回の映画は、監督や評論家が人命の尊さや過去の総括と称して、結局は国家権力の人民武装解除=「暴力反対」で、闘いの未来に制約をかける役割をはたすのではと危惧する。今すべきことは、43兆円の軍事予算に群がる新たな支配層=政治家・軍人・死の商人どもとの闘いであり、貧困死しかもたらさない抑圧社会との闘いだ。監督や出演者らがすべきはそれへの見解と戦闘的論議ではないか。
最後に我々は、ナチスや戦後も一貫して侵略戦争を繰りかえす米帝、現在のプーチン・ロシアのウクライナ侵略・イスラエルのパレスチナへの暴虐に対して、また71年12・4以降~90年代までのカクマル反革命が再来するなら、生死をかけて闘う。この映画に登場の佐藤・池上・内田氏らは「内ゲバ批判」よりも、腐敗を続ける自民党政権打倒から、新しい戦前を阻止し社会主義の希望をこそ語るべきではないか。過去は変えられないが、誠実に総括を深めるなら未来は我々のものになる。 (なおこの過程で、樋田氏の著作以外でも、早稲田でカクマル支配と果敢に闘った人々の「顛末記」などを読ませていただいた。一方の当事者である私たちの検証も含め、さらに議論ができたらと思う。70年に早大第一文学部に合格しながらも他大学に進学した者としても)
出典: 革共同再建協議会 「未来」第391号、「未来」第392号 水滴穿石.com政治局 2024年07月03日 |
(私論.私見)