| 福田政権考 | 安倍政権考 |

(最新見直し2008.9.2日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 2007.9.26日、福田政権が発足した。この政権の前途は洋々たるや否や、これを問うのが肝心だ。れんだいこの見立てるところ、安部政権が見舞われたと同様の内敵としてブッシュ-小泉派による「ズボン踏み」、外敵として小沢民主党の政権盗りが待ち受けており、容易ならざる関門を潜り抜けねばならない。福田政権にはその能力が有るだろうか。これを見極めるのが評論だろう。 例によってれんだいこのご託宣を開陳しておく。この政権は、イラク特措法海峡で早くも座礁する。石破を防衛相に登用した時点で強行突破を目論んでいることが判明するが、衝突不可避と云わざるを得ない。石破を防衛相に推挙したのはどの筋か、はたまた福田の意思か。福田の意思なら漬ける薬が無い。 2006.11.29日再編集 れんだいこ拝 |
| 【首相指名選挙】 |
| 2007.9.25日午後、安倍内閣の総辞職を受け国会で衆参両院の本会議が開かれ、それぞれ首相指名選挙を行った。衆院では福田氏338、小沢氏117、共産党の志位委員長9、社民党の福島党首7、国民新党の綿貫代表5となり、自民党の福田康夫総裁が第1回投票で首相に選ばれた。一方、与野党が逆転している参院は決選投票の末、民主党の小沢一郎代表を指名した(参院本会議での1回目の投票では、小沢代表が117票、福田総裁が106票、志位和夫共産党委員長が7票、福島瑞穂社民党党首が5票、綿貫民輔国民新党代表が4票、白票が1票。過半数の121票を得た候補者がいなかったため決選投票となり、小沢代表が133票、福田総裁が106票となった)。 衆参の議決が異なったため、約9年ぶりに両院協議会が開催された。衆参両院で首相指名が異なったのは、過去に芦田均(48年)、海部俊樹(89年)、小渕恵三(98年)の各首相がそれぞれ選出された時に例がある。両院協議会には衆参両院から選出された各10人の委員が参加し、それぞれの決議について採決を行ったが、いずれも3分の2以上の賛成を得られず、首相指名について成案を得ることができぬまま不調に終わった。 このため午後5時半過ぎから開かれた衆院本会議で、河野衆院議長が「憲法67条の規定により、衆院の議決(福田氏の指名)が国会の議決となった」と宣告、福田氏が 第91代、58人目の首相に選出された。福田氏の父の故赳夫氏が1976~78年に首相を務めており、憲政史上初の親子首相となる。 福田首相は直ちに組閣作業に入り、同日中に組閣を終える。皇居での親任式・認証式は26日午前行われる。 |
| 【投票余話】 |
| 読売新聞の伝えるところ、9.25日の衆院本会議の首相指名選挙で、無所属議員9名の投票行動が注目されたが、郵政民営化に反対して自民党を離党した平沼赳夫・元経済産業相、河野議長、玉沢徳一郎・元農相、中村喜四郎・元建設相の4名が福田首相に投票した。横路孝弘副議長、鈴木宗男・元北海道開発庁長官、滝実氏、西村真悟氏は小沢民主党代表に投票。江田憲司氏は白票を投じた。 参院では、国民新党の自見庄三郎・元郵政相が決選投票前に退席し棄権した。7月に民主党会派を離脱した無所属の松下新平氏は1回目は白票、決選投票で小沢氏に投票した。川田龍平氏ら無所属の3名は1回目から小沢氏に投票した。 |
| 【組閣】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 9.26日、福田内閣が発足した。福田首相は、組閣に先立ち自民党3役を4役に増やして決めた。3役から選挙対策委員長が新たに格上げされ4役となり、伊吹幹事長、二階総務会長、谷垣政調会長、古賀選対委員長という布陣となった。 組閣は、第二次安倍政権のメンバーの再任を基調とした。 <福田内閣・組閣名簿>
麻生氏は閣僚就任要請を固辞した。 福田首相は、官房長官に出身派閥の会長である町村氏を起用したほか、自分の官房長官時代の首相官邸スタッフを呼び戻し、気心の知れた議員や官僚で周囲を固めた。再任された政務の官房副長官・大野松茂、岩城光英両氏も町村派に所属している。首相官邸の政治家のラインは、首相、官房長官、副長官のすべてが町村派で占められた。また、官僚トップとなる二橋正弘官房副長官は1年ぶりに再起用された。2003.9月から3年間、小泉政権の官房副長官を務め、福田氏が2004.5月に官房長官を辞任するまで補佐した。 政務秘書官には、長男で秘書を務めていた福田達夫氏(40)を起用。事務秘書官には、財務省の林信光文書課長(80年入省)、外務省の石兼公博国際協力局政策課長(81年入省)、経済産業省の菅原郁郎総務課長(同)、警察庁の栗生俊一刑事企画課長(81年入庁)の4人を内定した。林、石兼両氏は、首相が官房長官時代の秘書官だった。また、中山恭子、山谷えり子両首相補佐官も再任した。 福田首相は、「背水の陣内閣」と語った。2007.9.26日、任命・認証式を終えた。 |
| 【日米首脳電話会談】 |
| 2007.9.26日夜、日米首脳電話会談が執り行われた。福田首相の早期の訪米が決まり、ブッシュ大統領が、11.1日で期限切れとなる海上自衛隊のインド洋での給油活動について、「日本の貢献はテロとの戦いにおいて重要なカギをなす」と活動継続に期待感を示した。福田首相は「国会の状況は厳しいが、継続が可能となるよう努力したい」と応じた。 |
| 【田中真紀子の福田首相評】 | |||
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衆院で福田康夫氏が首相指名された直後、第1次小泉内閣の外相時代に官房長官だった福田首相と駐米大使の退任問題などをめぐって激しく対立し、その後外相を更迭された苦い経験を持つ田中真紀子衆院議員は待ちかまえていた報道陣に皮肉たっぷりに次のように語った。
福田首相が官房長官時代に自らの年金未納問題で電光石火に辞任したことに触れ、「狭苦しい人で、すぐ投げ出すと思いますよ」と予言してみせた。福田氏を次のように評した。
れんだいこはどう見立てるか。手短に言えば、あいも変わらずの露骨なシオニスタン内閣であるということになる。顔が国民に向いておらず、米英ユ同盟として立ち現れるワシントンのホワイトハウス中枢に向いている。福田-森派から出てくる限りこれ以外のカードは有り得ないということになる。 |
| Re:れんだいこのカンテラ時評325 | れんだいこ | 2007/09/27 |
| 【気になる自民党内の動き。福田内閣は早晩飽きられる】 安倍政権の俄かな破綻-福田対麻生の総裁選-福田政権の登場を見てきたが、れんだいこには気になる動きがある。これを書き記して世に問うことにする。 一体、所信表明演説まで済ませた安倍首相の突如の辞任はどこからもたらされたのだろうか。れんだいこには、安倍首相がオーストラリアのシドニーでブッシュと日米首脳会談して以来、何やら強迫観念に捉われ調子が狂ったように見なしている。安倍は、帰国後の所信表明演説に臨んだ時点までは辛うじて政権維持を意欲していたのではないのか。翌日早朝、駐日米国大使が訪れたとの情報があるが、この席で最終的に引導を渡されたのではないのか。これにより、午後から国会質疑があるという直前での辞任表明となった。ということは、時の政権を打倒したのは、内圧ではなく又しても外圧ということになる。こう認識したい。 ブッシュ派は何ゆえに安部政権引き摺り下ろしに向かったのか、この時どういうシナリオが用意されていたのか、これを考察せねばならないが、ここではこの考察を省く。それはともかく安倍は、後継を麻生に委ねようとしていた形跡がある。しかし、安倍辞任が確定するやこの時を待ち受けていたかのよう動き出したのは小泉チルドレンであった。小泉チルドレンは自民党内に仕掛けられたトロイの木馬であり、今後も政局の節目に箱を開け躍り出てくることが予想される。小泉チルドレンは、安倍辞任直後の「麻生断然優位のシナリオ」を崩し、小泉元首相の再登板を促した。これを指揮していたのが飯島元首相秘書官-武部元幹事長-中川前幹事長ラインであった。 れんだいこが注目するのは次の動きである。麻生派と小泉派の動きを横目に睨みながら福田が万全の体制で総裁選に名乗りを上げた。福田出馬の動機は奈辺にあったのだろうか。福田が親子二代にわたる首相就任と云う栄誉を夢見ただけだろうか。今首相の座椅子に坐って得意気な表情を見せる福田にはそういう茶目っ気があるにはあるが、それだけでは説明できないように思う。 それは真相の半分であり、残りの半分は小泉再登板の目を摘むことにあったのではなかろうか。これに党内派閥が呼応したのではないのか。それほどに小泉再登板に対して自民党内からの反発が厳しいのではないのか。小泉はブッシュの後押しを得ていたものの形勢非を悟り福田支持を打ち出した。これにより、小泉チルドレンの小泉アンコール運動は水泡に帰した。こうなると転身も早い。何と小泉チルドレンのリーダーの一人片山さつきは早速に福田の横にへばりつきシフト替えして見せた。その他大勢が雪崩を打って福田支持に向かった。麻生に向かったのは、判明する限り杉村太蔵である。 麻生が善戦したもののこうして福田政権が誕生した。旧福田派から森-小泉-安倍-福田と4代続けて首相が誕生したことになる。ポスト福田が町村へと続く可能性も有り、そうすれば5代続くことになる。こうなると俗に旧福田派独裁と云われてもおかしくない。興味深いことは、この旧福田派の内部が福田派、町村派、安倍派、小泉派に割れていることである。今後目が離せない。 なぜこういう旧福田-森派全盛時代が続くのか。それは、党内対抗軸としてのかっては存在した旧田中-大平派が自民党内から失踪したことによるのではないのか。一部残存しているが、彼らは前参院会長の青木に象徴される如くなべて政権を争う気概は無く、寄らば大樹の陰、勝ち馬に乗り利権にあやかることこそ最良の処世法としており、旧福田派を主流派とさせ、その川下で権力の蜜の味のお裾分けに群がる能しかない卑屈な利権集団でしかない。 ならば、風上の旧福田-森派とはどういう集団か。れんだいこが見立てるところ、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義即ちロスチャイルド派ネオシオニストの走狗であり、外向きは御用聞きにして内向きには傲慢不遜な権力亡者である。本質的に売国奴であるからして、時にそれを隠すかのように愛国者ぶる。マスコミはその愛国者振りを持ち上げることにより売国奴の正体を隠す役割を担っている。この連中に政治を任せると日本は身売りさせられ、遂には連中の属州にさせられてしまうであろう。 こうして今や自民党は上も下も性根が腐っている。そういう連中の烏合の衆なる生態を見せている。現在なお自民党支持者は、こういう自民党内の変化を嗅ぎ取なければならない。池田-角栄-大平時代の自民党には魅力があった。今やその良き自民党を潰すことに狂奔しているのが自民党政治であることを知らねばならない。自民党は既に十分に末期症状を示している。政党であれ会社であれ、こういう連中が巣食うようになると腐敗と組織衰退が始まる。理の当然と云うべきだろう。 さて、その福田政権であるが、どう把握せられるべきであろうか。この政権は短命で終わるのだろうか。何時ごろが潮時になるのだろうか、これについてコメントしておきたい。れんだいこは、マスコミの見立てとは違うタカ派ハト派なる政治用語を使う。マスコミのそれは昔からどこに基準があるのか定かでない。例えば三木首相をハト派と位置づけていることから分かるように、何をもってタカ派ハト派を識別するのか分からない。 れんだいこは、数ある指標のうち戦後憲法秩序の擁護あるいは批判の度合いに応じてハト派タカ派を識別している。これによれば、1970年代の三角大福のうち三木派と福田派はタカ派であり、田中派と大平派はハト派ということになる。この時点では弱小派閥でしかなかった中曽根派はウルトラタカ派ということになる。これによれば、福田政権はれっきとしたタカ派である。 れんだいこは更にタカ派のうち現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオシオニズムへの走狗ぶりの度合いに応じてキリシタンならぬシオニスタンなる用語を案出している。これによれば、旧福田-森派はなべてシオニスタンである。当然福田政権もシオニスタンということになる。 このところの日本政治史は長らくこのシオニスタン系タカ派に按配されている。この事態を見据えることが政治論になるべきところ、このように史観を定める者は少ない。しかし、流れは必ず変わる。西欧で米国でも無論イスラムでも南米でも新たな政治変動が強まりつつある。我々は時代のこの鼓動と呼応せねばならない。 さて、眼前に迫るテロ特措法について言及せねばならない。福田政権は、高村外相-石破防衛相という強度の国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの走狗を押し立ててきた。政争必至というべきだろう。我々は何としてでも自衛隊の海外派兵からの召還を勝ち取らねばならない。その上で戦後憲法が指し示す国際平和と協調の政策へと転換せねばならない。これに勝利すれば同時にブッシュ派の強権政治の瓦解へと繋がるであろう。テロ特措法闘争にはそういう政治史的意味がある。以上れんだいこが政局コメントしておく。 2007.9.27日 れんだいこ拝 |
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| 【中曽根-小泉的なるものと非小泉的なるものとのせめぎあい】 |
| 大方の見方に反してれんだいこは、福田政権の登場を小泉再登板を抑えることに主眼があったと見なしている。事実、安倍退陣直後の政治情況は、麻生の出馬は当然としてそれを阻む小泉再登板運動が燃え上がろうとしていた。仮にあのまま進行していたとしたら麻生対その他大勢対小泉の戦いになり、この場合には小泉が漁夫の利を得た可能性が強い。 今から思えば、小泉再登板の流れはかなり用意周到に仕組まれていたことが分かる。まず週刊現代-立花隆ラインが安部政権崩壊の一撃必殺の狼煙を挙げている。安倍があまりにも早く頓挫した為かどうかロッキード事件の際に果たした立花論文のようには効果を発揮しなかったが、外国人記者クラブで突っ込まれる事態になると安倍は角栄同様に引退を余儀なくされたであろう。 週刊現代-立花隆、その他大勢の取り巻き評論家の加勢を得て、飯島-武部-中川-山本の陣頭指揮による小泉チルドレンの蠢動が始まる。小池-片山-佐藤-猪口の女狐4人組がひっきりなしにテレビに登場し雰囲気を盛り上げる。マスコミの読売-日テレが麻生を叩き、小泉チルドレンを持ち上げる。 こうして小泉アンコール運動が宴たけなわにならんとしていたまさにその時、福田が党内根回しを宜しくして登場してきたような気がしてならない。福田は勝てる戦しかしない慎重居士であるからして、麻生派を除く残りの全8派閥に閣僚手形を切ることで支持を取り付けるという万全の体制を敷いて総裁選に臨んだ。小泉はひるみ、決断は早ければ早いほど良いと嗅覚し福田支持に転じた。残された飯島は口惜しがったが、後の祭りというものだろう。小泉チルドレンは梯子を外された格好になり、その後は脱兎の如く福田陣営に駆け込むという変身芸を見せた。 こうして総裁選を迎えたが結果は明らかだった。問題は、麻生が如何に善戦するかにあった。蓋を開けてみると、麻生は考えられる限りの最高票を取った。麻生は勘違いしているようだが、この結果は政策的な意味での麻生支持票というより、反福田票でもあった可能性がある。麻生はそう弁えるべきだろう。 福田政権はこういう経緯で登場した訳であるから内部はかなり複雑である。官房長官を派閥の長であり次回の総裁選の有力候補である町村に据えたのが吉と出るか凶と出るか。八派閥連衡という意味では船頭の多い寄り合い舟に例えられる。小泉構造改革路線を基本的に支持するという姿勢を打ち出しているからして小泉派を温存的に抱えることになるが、このことは相変わらず時限爆弾入りの政権であることになろう。総裁選で敗れた麻生が入閣を固辞して野に下ったという事は、ポスト福田の最有力として虎視眈々と窺っていると見るべきだろう。 以上から、福田政権の余命は次のように推測できるのではなかろうか。福田首相は、党内に渦巻く小泉的なるものと非小泉的なるものとアンチ小泉なるものの三者関係に於いて、どのように櫓を漕ぐのか。後者に寄れば寄るほど前者の反発が強まり、前者に寄るほど後者の抵抗が強まるという関係にある。福田の舵取りは案外難しい。 福田政権は党内人事の複雑さのみならず案外もっと早く政策で躓くことも考えられる。テロ特措法を廻る自民党と民主党の対立は、民主党の小沢党首の采配下では決定的である。新法で切り抜けるというが、それは強行採決を経る以外に無く、福田政治の質が問われることになろう。消費税増税策も然りで相当な緊張と対立と抗争を強いられよう。その他諸々の政策に於いていわゆるシオニスタン系タカ派の正体を丸出しにせざるを得ず、そのたびに人気を失うであろう。短気で投げやりな性格を持つ福田は耐えられるだろうか。 問題は、福田政権を支える船頭衆が、この政権をどれくらい長持ちさせようとしているのかにある。小泉派の糸引きによる船頭衆扇動によっては案外と短命なのではなかろうか。他にも年齢的な要因もあり、知力、気力、体力が持つだろうか。福田が退陣する時、貧乏くじを引いたと臍をかむのではなかろうか。 2007.9.29日 れんだいこ拝 |
10.30日、福田首相が、小沢民主党代表と党首会談。
11.1日、テロ対策特別措置法が期限切れ。インド洋の海上自衛隊に撤退命令。
11.2日、小沢氏と再会談。大連立構想を協議。
11.14日、参院で、国会同意人事が56年ぶりに否決される。
11.16日、ワシントンで、ブッシュ米大統領と日米首脳会談。
12.23日、薬害C型肝炎の被害者を全員一律救済する議員立法の国会提出を表明。
12.28日、北京で、中国の胡錦涛国家主席と日中首脳会談。
2008.1.11日、新テロ対策特別措置法が参院で否決後、57年ぶりに衆院で再可決、成立。
1.18日、第169通常国会召集。
1.30日、中国製ギョーザに拠る中毒事件が発覚。
2.29日、20年度予算案が衆院通過。
3.19日、参院で日銀総裁人事で2度目の不同意。日銀総裁が戦後初の一時空席になる。
3.27日、道路特定財源制度の09年度廃止-一般財源化する方針を表明。
3.28日、20年度予算が両院協議会を経て成立。
4.1日、揮発油税(ガソリン税)などの暫定税率が期限切れで失効。ガソリン価格値下げ。
4.27日、衆院山口2区補選で、民主党候補が自民党候補に勝利。
4.30日、改正租税特別措置法を「みなし否決」を経て衆院で再可決。暫定税率が復活しガソリン価格値上げ。
5.7日、胡主席が来日。東京で日中首脳会談。
5.13日、道路特定財源を20年度以降も10年間維持する改正道路整備財源特例法を衆院再可決で成立させる。
6.9日、地球温暖化対策に関する福田ビジョンを発表。
6.11日、首相の問責決議が参院で現憲法下で初可決。
6.12日、日朝実務者会議で北朝鮮が再調査に同意。
6.21日、通常国会開幕。
7.7-9日、北海道洞爺湖サミット。
8.1日、内閣改造。8.2日、福田改造内閣が正式発足。
8.20日、【政治】 給油活動継続など民主に政策協議打診へ…政府・与党。
8.21日、首相と防衛相、新テロ特措法改正案の臨時国会提出を確認。
8.25日、臨時国会を9.12日召集。会期70日間で政府与党合意。
8.26日、太田誠一農相の政治団体の事務諸問題が浮上。
8.29日、総合経済対策で、低所得者向け低額減税の新年度実施で政府与党が合意。
9.1日午前、9.2日に広島市で開かれるG8下院議長会議出席のため来日したペロシ米下院議長が、河野洋平衆院議長と国会内で会談した。ペロシ氏は、アフガニスタンで拉致・殺害された伊藤和也さんに対する哀悼の意を表明したうえで、海上自衛隊によるインド洋での給油活動について「テロとの戦いで必要な活動で、今後も継続することを切に希望する」と要請。河野氏は「政府は継続する法案を臨時国会で議論する考えだが、野党は反対しており、厳しい国会になる」との認識を示した。
9.1日午後9時半、緊急記者会見を開き、首相退陣表明。
9.2日午前、欧米7カ国と日本の立法府議長が一堂に集う第7回G8下院議長会議(議長サミット)が、広島市の国際会議場で開会した。米国、ロシア、英国、フランスの核兵器保有4カ国を含むG8の議長と欧州議会副議長が「平和と軍縮に向けた議会の役割」と「二院制議会における意思決定」をテーマに意見交換し、同日夕に閉会する。議長らは開会に先立って広島市中区の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、被爆者の体験に耳を傾けた。
議長サミットの開催は日本では初めて。ホスト役の河野洋平衆院議長が、被爆地・広島での開催を働きかけた。参加したナンシー・ペロシ米下院議長は、原爆投下後、広島を訪れた最高位の米国人政治家となった。
議長団は献花後、平和記念資料館(原爆資料館)を見学。14歳で被爆した元館長の高橋昭博さん(77)から被爆後、変形して生えてくるつめを見せてもらいながら、大勢の級友を失った体験に耳を傾けた。高橋さんは米ロが率先して核兵器廃絶に取り組むよう強く訴えた。広島市の秋葉忠利市長は同日午後の市主催の昼食会でスピーチし、各国に積極的な核軍縮を要請する。
午前10時から非公開で始まった「平和と軍縮」をテーマにした会議では、米欧とロシアが対立を深めるグルジア情勢も取り上げられる見通しだ。ロシアのグリズロフ下院議長はグルジアの南オセチア自治州に対する攻撃について「ヒトラーのソ連侵略にも比べられる行為」と批判し、米欧との対立が深まっている。
河野洋平衆院議長は会議終了後に記者会見し「核拡散防止条約(NPT)の精神を堅持し、一層強めなければならない」との議長総括を発表した。河野氏は「これをきっかけに、世界中の指導者に広島、長崎を見てもらえば核軍縮の決意を持つに違いない」と述べた。第8回議長サミットは来年9月ごろ、ローマで開催される予定。
9.2日、自民党は役員会などを開き、突然退陣を表明した福田康夫首相(党総裁)の後継を選ぶ総裁選の日程設定を総裁選挙管理委員会(臼井日出男委員長)に一任するなど、後継総裁選びを本格化させた。後継選びの軸となる麻生太郎幹事長は同日午前、出馬を事実上表明したが、首相は党総務会で「総裁選は複数候補でやってほしい」と表明。対抗馬擁立を模索する動きが出ており、小池百合子元防衛相、石原伸晃元政調会長らを推す声もある。小池氏は2日午前、出馬の意思を問う記者団の質問に「日本の危機そのものなので皆と危機感を共有したい」と可能性を否定しなかった。
日程は「10日告示-22日投票」で固まった。当初「8日告示-20日投票」案が浮上していたが、21日投票の民主党代表選後の方が得策との判断が強まった。
麻生氏は2日午前、役員会後の記者会見で「経済対策はじめ(福田首相が進めた政策を)受ける資格はあると思う」と、総裁選出馬を事実上表明した。麻生派は同日午前、麻生氏の政策を党内に浸透させ、支持拡大を目指すことで一致した。
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(私論.私見)